小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.01.22
屋号
「や」、歌舞伎が好きなので、「屋号」で。
「日本における屋号は、江戸時代において士農工商の身分制度により武士以外の者が苗字を名乗ることが認められなかったため、商人や大きな農家が、取引をするための必要性から、あるいは日常生活上の必要性から屋号を使うようになった。歌舞伎役者の屋号は、江戸時代に商人や豪農にならって用いるようになった。市川家の「成田屋」が屋号の始まりと言われている。」(wikipedia)
と、まぁ、歴史的にはこういうことらしい。
現在、歌舞伎に関しては50以上の屋号が存在していますが、現状として「大向う」から頻繁に声がかかる屋号といえば、「成駒屋」「高麗屋」「音羽屋」など10に満たないと思います。
「大向う」というのは、簡単にいうと、演目の中の「決め」の部分、具体的には「見得(みえ)」を切る部分などに絶妙のタイミングでかかる客席からの声(あるいはその人)のことですが、宴会の席などで聞かれる「よっ、日本一!」「色男!」などは、ここからきてるんですね。
この「大向う」、何でもないようですが、実はかなり歌舞伎を盛り上げるのに貢献してるんです。
一般のお客さんには分かりづらいかと思いますが、私のようなスタッフは一つの演目を約30日間見続ける(歌舞伎の興行は大体1ヶ月単位)ことになるので、役者の日々の調子や、演目自体の盛り上がりの差もよく見えてきます。
「なんか今日は締まらないなぁ」と思う日は、実際、「大向う」が少ない場合が多いですね。
「屋号」で思い出すのは、昭和時代の「南座」が改築のために取り壊される時、最後の舞台で、今は亡き藤山寛美さんが、この数ある屋号を大向うのようにかけ続けた場面です。
歌舞伎小屋の風情がたっぷり残っていたあの旧南座に随分とお世話になった僕にとって、あの情景は忘れることができません。
また、この改装時期に一度だけ、「顔見世」が祇園の甲部歌舞練場で行われたのですが、その興行での實川延若(じつかわ えんじゃく)の「落人」も、くっきりと心に残っています。(お軽は梅幸さんでした、今から思えばスゴイ組合せです!)
あの公演のすぐ後に延若さんが亡くなられ、「河内屋」の屋号は途絶えました。
勘平を演じる延若さんが、追っ手を蹴散らして、切った大見得、その時一斉にかかった
「河内屋!!」
最後の「屋号」を、この耳で聞いた自分を誇りに思っています。
小原啓渡