小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.02.03

「う」、「嘘」でいきます、ほんとです!

「嘘つきは泥棒の始まり」などと言いますが、
「嘘つきは政治家の始まり」とか、
「嘘つきは小説家の始まり」とか言わないのが不思議です。
(別に政治家や作家を侮辱しているつもりは毛頭ありません)

つまり、一般的に「嘘」が、善悪の「悪」の部類に認識されていることが多いと言いたいだけです。

個人的には「善悪」なんて、時代や国、個人の主観によっても違うわけですから、いわゆる「真理」ではないと思っていますが・・・、それはさておき、悪者じゃない、他人に喜びを与える「嘘」もあるってことです。

「そんなやつおらへんやろぉー!」
の「こだまひびき」ではないですが、マンザイなんて「嘘」ですよね。
小説だって、ドラマだって基本的には嘘の話。

結局のところ、嘘をつく目的によるんでしょうが、「明るい嘘」と「暗い嘘」があるんでしょうか。

「明るい嘘」は「フィクション」なんてカッコいい英語の別名まで付けてもらってますが、「暗い嘘」は「泥棒」扱いで、ちょっとかわいそうな気もします。

僕の場合、明るかろうが、暗かろうが、基本的に「嘘」は好きじゃない。
できれば、「ほんと」がいいし、「真実」がいい。
「フィクション」より、どちらかと言うと「ノンフィクション」の方が好きだし、できれば、真実の話に笑い、真実の出来事に泣きたいと思っています。

学生のとき、ある嘘に随分と傷ついたことがあって、それからずっと
「人はどうしたら、嘘をつかずにすむんだろう?」と考えてきました。

今のところの答えは、
「自分を認め、自分に正直になる」ってことです。

人に何て言われようが、思われようが、自分が自分であることを宣言するってことですね。

現実的には、これって簡単ではないですが、少なくとも、そこに価値を見出してからは、嘘をつくことが激減したように思います。
ある意味で、嘘をつく必要が無くなる訳ですから・・・・・

人間関係の潤滑油としての嘘やお世辞などもありますが、自分を認めるように、他人をありのままに認めることができ、信頼を築くことができれば、オベンチャラなんて必要なくなって、「本音」が励みになり、本当の喜びになると思います。

嘘をつかせてしまった自分を省み、嘘をつかねばならなかった相手を思いやることができれば最高ですよね。

確かに、現実離れした、きれいごとの「理想」かもしれません。でも、どう思われようが、僕はそこを目指します。

小原啓渡

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