小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.02.16

成功

「せ」、ちょっと真面目に「成功」で。

自分にとって、人生における「成功」とは何なのか?
できるだけコンパクトに書いてみたいと思います。

僕は、人生を「ジグソーパズル」のようなものだと思っています。

生まれた時、何百、何千といったバラバラのピースを渡される。
そのピースの数や大きさは様々で、同じセットは一つとしてない。
(人の数だけセットは存在する)
しかも、完成形の絵は添付されていない・・・・。

人は、ピースを取り上げて、完成形を想像しようとするが、各ピースは何かの断片でしかなく、完成した絵を知る一つの手がかりでしかない。

全体をイメージするには、あまりに数が多すぎて、途方に暮れている人、ピースの数が比較的少なくて、おぼろげながらも完成形を、感覚的に捉える人もいる。
ただピースをもてあそび、かき混ぜているだけで人生を終える人もいれば、完成形に挑み、途中で今生の死を迎える人もいる。

僕の娘が幼い頃、
「この子は、実は僕より年齢が上なんじゃないだろうか」という奇妙な感覚に陥ることが頻繁にありました。
単に、大人っぽい発言をするとかではなく、あくまで感覚的に・・・

科学的に考えると、まったく説明できない感覚ですが、
もし「輪廻」というものがあるとするなら、
娘の方が僕より「魂の年齢が上」というのも在り得ることになるし、
各人が今生で与えられるジグソーパズルの断片の数と大きさは、その人の「魂の年齢」によって変わる、と言うこともできるなと思いました。

つまり、死の時点までに出来上がった部分が、次の生では一つの断片にまとまり、その分、ピースの数が減少する・・・

その繰り返しの中で、人の魂はジグソーパズルを完成させていく・・・・

そして、その完成形に描かれた絵は、

「自分とは何者なのか」を知らしめると共に、
「すべての本質」
「宇宙の絶対的真理」を表出している・・・

と、まあ、
非科学的な妄想はこの辺で止めておくとしても、この例えで言うなら、
僕にとっての人生は、
「試行錯誤を繰り返しながら、少しづつ、少しづつ姿を現してくるジグソーパズルの断片をつなぎ合わせていく行為」です。

ただ、僕は今生でこのジグソーパズルを完成させることはできないでしょう。

それでも、
完成形を見るために、日々、断片を探り、組み合わせ、
ストラグルし続けたいと思っています。
そうし続けることが「人生の意義」だと思うからです。

そして、いつか、
僕のジグソーパズルが完成する。

この達成こそが、

僕の人生における「成功」です。

小原啓渡

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