小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.02.18
台湾
「た」、「台湾」でいきましょう。
フランスで「コンテンポラリーダンスの母」と呼ばれているスーザン・バージと長く仕事をすることになった一つのきっかけが、台湾にあります。
彼女が、フランス政府から日本に派遣され、現役ダンサーとして最後のアジアツアーを計画している時、僕は彼女と出会いました。
彼女は、最後の作品をソロで踊ることに決めており、日本でテクニカルディレクターを探していました。
条件は、英語が喋れることと舞台の総合的な技術を持っていること。
つまり、音響・照明・舞台という最低3名は必要な技術を一人でやってくれる人、ということでした。
1990年の初め、日本ではまだ「コンテンポラリーダンス」という言葉さえ知られていない頃で、僕自身も「コンテンポラリー」って「モダン」とどう違うの?という程度の知識しかありませんでした。
ふたを開けてみると、やはりツアーメンバーは、スーザンと僕の二人だけ。
(制作もいなければ、コーディネーターもいない)
それまでにも何度か海外での仕事はしていましたが、二人だけというのは初めてで、さすがに不安でした。
そして、その不安を何倍にも増幅させるハプニングが最初の公演地「台湾」に向かう成田空港で起こりました。
チェックインをしようとして、スーザンが台湾のビザを取っていないことが発覚!
(スーザンは、指摘されるまでビザが必要だと思っていなかった)
その日は日曜日で領事館は閉まっており、しかも悪いことに、次の日の月曜日も祝日でした!
公演の本番は3日後、たとえ火曜日にビザが取れたとしても、便の関係で本番時間には間に合わない!
まったくもって、最悪の事態でした。
打開策を検討するも答えが見つからず、搭乗時間は刻一刻と近づいてきます。
重苦しい沈黙・・・・
しばらくして、スーザンが僕を食い入るように見つめて言いました。
「ケイト、あなたは私を信じることができる?」
あまりの気迫と、真剣なまなざしに、
「・・・もちろん!」と答えていました。
「じゃぁ、先に行って、準備を進めて。私は必ず本番に間に合うように行くから、主催者にもこのことを絶対言っちゃダメ! 私を信じて、待ってて!」
そうして、僕は、一人で台湾へ入り、
「なぜスーザンは一緒でないのか?」という主催者からの質問を徹底的にかわしながら、現地のスタッフと準備を進めました。
当時は、携帯電話での国際通話どころかインターネットさえ普及していない頃で、スーザンの動向が明確につかめず、不安は募る一方でした。
到着初日に仕込みを終え、二日目は本人がいないままテクニカルだけのリハーサルをやりました。
主催者には、「スーザンは明日、到着しますので、ご心配なく」と涼しい顔でごまかしていましたが、さすがに「間に合わなかったらどうなるんだろう?」と考えると、内心はビクビクで、不安を通り越して恐怖にさえなっていました。
専用ジェットを飛ばすか、フランス政府がヘリを手配するか・・そんなこと以外、僕には解決策が見当たらないだけに、正直に事情を話して、公演をキャンセルするか延期してもらった方がいいのではないかと、悩みまくりました。
(今なら、まだお客さんに中止を告知する方法もあるが、明日ならより多くの観客に迷惑がかかる・・・・)
まさに、土壇場でした。
しかし、最終的に僕が出した答えは、
根拠はなくても、スーザンを信じること・・・・
そして、公演当日、
彼女は、ことば通り、本番直前に到着しました。
(僕が成田を発った日、スーザンは香港に飛び、翌日香港でビザを収得(祝日は日本だけ)、そして香港から台湾に飛んだ)
それから8年間、僕たちは、かけがえのないパートナーとして仕事を続け、現在もなお親交を深めています。
小原啓渡