小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.02.23

中座

「な」、「中座」で。

江戸時代、大阪の道頓堀は「道頓堀五座」と言われた5つの芝居小屋(弁天座・朝日座・角座・中座・浪花座)を中心に、多くの劇場が軒を連ねる日本のブロードウェイだったといいます。

その五座の一つ「中座」が1999年10月に閉館しました。
(僕はこの中座で閉館までの数年間、照明技術者の一人として働きました)

閉館に先立って、映画館だった松竹座が現在の劇場に改築されていたので、大阪での興行に支障はなかったとはいえ、300年以上もの歴史を持つ芝居小屋がなくなるのは非常に残念で、寂しい限りでした。

売却先に引き渡される直前、廃棄処分される古い照明機材や備品の中で欲しいものがあれば頂けるということになり、あとは解体を待つだけの中座に行きました。

僕が見た最後の中座は、本当に痛々しかった・・・

そんな舞台の上手袖、大臣柱の裏側に古い「姿見」(鏡)が残っていました。

担当主任に「あのぉ、この姿見、いらないんですか?」と聞くと、

「それ、壁に張り付いてるから取れへんで・・」

「あの、もし、剥がせたら貰っていいですか?」

「ええけど、そんなもんどうすんの?」

どうもこうも、この時、僕にはその「姿見」が、キラキラと輝いて見えていました。

割らないように、傷つけないようにと、時間をかけて、
やっとの思いで取り外し、喜んでその姿見を抱えて表に出ると、
別の照明会社の先輩が、

「小原ちゃん、あんた何してんねん?、機材で使えそうなもん皆、もう内がもろたで・・・、あんた遅いわ!遅い!」

その会社の2トントラックには、既にめぼしい機材が積み込まれていました。

「そんなもん取り外してる場合やないでぇ、あんた照明さんやろ、何しに来とんねん・・・・
もぉ?、しゃぁないなぁ?、欲しいもんあったら分けたるし、いうてみぃ!」

会社は違えど、さすが先輩!
この中座で一緒に仕事をした仲間です。

ありがたく、使えそうな機材を分けてもらって軽トラックに積み込み、姿見だけは布にくるんで助手席に乗せて運びました。

他の人にとっては、古くて所々がくすんだその「姿見」は確かに「そんなもん」かもしれません。
でも僕には、何物にも代えがたい価値を持った鏡に思えました。

いつの時代に取り付けられたかは不明ですが、
過去、無数の名優たちが舞台に出る直前、
この鏡に向かい、襟を正し、気合いを込めてきた「姿見」です。

その中には、「いつか中座の華になる・・・」(浪速恋しぐれ)という歌にもある落語家、桂春団治や歴代の中村鴈治郎、市川団十郎、片岡仁左衛門、あるいは天才喜劇役者だった藤山寛美や都蝶々さんもきっといたに違いありません。

僕には、そうした人たちを映し続けてきたこの「姿見」は、
まさに「中座の歴史そのもの」だと思えたのです。

その後、中座は解体途中に全焼・・・・・、

そして、この「姿見」は、中座が閉館したその年の12月にオープンした、
「アートコンプレックス1928」の楽屋で、今も大切に使われ続けています。

小原啓渡

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