小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.02.26

「ね」、「熱」で。

「熱」というのはエネルギーの移動形態の一つで、必ず高温の物体から低温の物体へと移動し、その逆はありえない。
また、熱は移動の際に外部に熱が流出しなければ、高温の物体が失った熱量と、低温の物体が得た熱量は等しい、という性質を持っています。

そこで、僕が経験的に思い当たるのは、
「熱心」に誰かに何かを話したり、語ったりした後、単純に話し疲れたというのではなく、妙に冷めてしまうこと。
(またすぐに熱量が上がりますが・・・)

これって、話した方が冷めた分、話を聞いた方は熱を帯びているんでしょうか?

そうだとしても、移動した熱は、その後どうなるんでしょう?

結局、それ以上に低温なものに流れていくだけで、時間の差はあっても、ずっとそこに留まることはないんでしょうね。

時々、熱心に話した後で、妙な無力感を感じるのはそれ故なのかもしれません。

結局のところ、自ら熱を生み出すジェネレーターが回り出さなければ、外部からの熱は一時の刺激でしかない。

一人ひとりが、それぞれ別のジェネレーターを持っているとしても、動かすためのスイッチがどこにあるのか、本人さえもわかっていない場合が多いような気がします。

他からの熱がまだ残っている間というのは、おそらく、自分のスイッチを探す一つのチャンスなんだろうなと思います。

「モチベーション」というのも、この「熱」の一種だと思いますが、
本質的に熱が「摩擦」から生まれるとすると、スタータースイッチの在りかを知るためのヒントは、
この「摩擦」にあるのかもしれません。

他からの熱を帯びた時、自分の中の「摩擦」を検証してみる・・・。

そこに、何かが、見えてくる・・・はずです。

小原啓渡

PAGE TOP