小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.03.05
ミス
「み」、「ミス」。
「弘法も筆の誤り」とか
「猿も木から落ちる」などの格言があるように、誰しも「ミス」を犯します。
「1 件の重大事故の背後には同種の軽微な事故(ミス)が 29 件あり,その背後には 300 件の異常がある」という「ハインリッヒの法則」は有名ですが、
ちょっとした「ミス」が直接大きな事故につながることもありますから、軽微だからといって軽視するわけにはいきません。
それでは、誰もが犯す可能性のある「ミス」を最小限に食い止めるにどうすればいいか、
僕の経験から少し書いてみたい思います。
「ミスをしても、落ち込むな」
これが僕の考えです。
人はミスをすると、とかく「落ち込む」傾向があります。
親や先生などから「ちゃんと、反省しなさい!」と言われ続けた結果でしょう。
(言う方も、言われる方も「反省」の意味を明確にしないまま・・)
そこで、僕が問題にしたいのはこの「反省」の意味です。
「あぁ、僕ってほんとに注意力散漫だ、駄目な人間だ、これからは気をつけよう」
これを反省だと思ったら大間違いです。
(具体的な対策を講じない限り、「気をつける」くらいで「注意力散漫」は変わらない)
でも多くの人は、自分を責め、落ち込めば、それで反省したと思っていないでしょうか?
大切なのは、冷静にミスを「分析」し、「対策を練り」、「対策を実行する」ということであって、自分を叱ることでも、落ち込むことでもない。
僕がスタッフなどを見ていて気づくのは、
「ミスを指摘されて妙に落ち込むタイプは、また同じミスを(何度も)犯す傾向がある」ということです。
自分を責め、落ち込む方が「痛い目に合う」という意味で、再度のミスを犯さなくなるという考え方が常識的だと思いますが、意外にそうでもない。
何故かと推測するに、二つの理由があるように思います。
落ち込むタイプの人は、自分を責めることにエネルギーを使い切り(ある意味、誠実)、その後の処理が十分でない場合が多い。
つまり、「自分は苦しんだ」=「反省した」と、それで終わってしまっているのではないかということ。
そしてもう一つは、落ち込むことで「自分」=「ミスをする人」という無意識な「自分像」がより強固になっていく(この自分像が再度のミスを誘発する)のではないかということです。
ミスを犯すことで、誰かに迷惑をかけた場合、真摯な態度で謝罪することはもちろん大切ですが、やってしまったことをいくら後悔しても、意味はないと思います。
あくまでクールに(意識して)、ミスを検証し、対策を練り、対策を実行する。
自分は「ミスをするダメな人間だ」と思うのではなく、自分は「弘法さんだ(基本的にミスなんてしない人間だ)」と思うくらいの気持ちを意識的に持つようにする方が、僕の経験上、ミスは減っていきます。
もちろん、慢心するのは、より危険ですし、
「後悔するな、落ち込むな」と言われても、それがなかなかできないのが人間、ということも分かります。
しかし、
意識的に視点を変えることで思考が変わり、現実が変化するということも確かな事実です。
小原啓渡