小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.04.04
老人
「ろ」、「老人」で。
「老後の経済的安定を基準に今を生きている人を、老人という」
何かの本に書かれていた言葉です。
「若くても老後のために今を生きている人は老人だ」
「本質的に老いるというのは単に年齢を重ねるということではなく精神的な問題だ」
というような意味だと思いますが、共感できる部分はありますね。
確かに、福利厚生に関する国の施策(例えば年金制度)に問題があるなど、
「老後」=「不安」というような通念が増長されている傾向はありますし、
不安が大きければ大きいほど、それに備えようとする心理が強くなるのも分かります。
ただ、これらの不安の大部分が「経済的な問題」にあるということに僕は切なさを感じます・・・
僕にはなぜか老後の不安というものがありません。
決して潤沢な貯金や資産があるわけでもないし、安定した仕事に就いているわけでもありません。
住んでいるマンションも賃貸、会社を経営しているといってもこのご時世です。
「三年先の事さえ読み切れない」というのが実際のところでしょう。
にもかかわらず不安がないというのは、何故なのか、
少し自分自身を探ってみようという気になりました。
まず考えられるのは、自分でも呆れるくらい「楽観主義」であるということ。
「まあ、なんとかなるやろ」というお気楽な性格。
このブログのタイトルにもなっている「諸行無常」、つまりあらゆるものは変化し続け、常なるものはない、という概念がなぜか染み込んでいて、変わらないことを期待したり、それにしがみつくということもない。
つまり一般的にいわれる「安定」(不変)といったものは、有り得ないと思っているので、物質的なものが心(精神)に影響を与えるとしても、あくまで主役は心ですから、状況に左右されない「心の充足」ということにしか、基本的に興味がない。
そして何より、「自分がいつ死ぬかなんてわからない」という考えが定着しているので、「今」を大切にしたいという思いが異様に強い。
あと、もう少し現実的な話で言うと、「借金」をしないということがあるかもしれません。
家や事業所(劇場など)は賃貸もしくは委託、ローンで何かを買うということをしないので、会社も個人も全く借金がない。
(借金がなければ、お金に追いかけられることがない)
基本的に身の丈を考えて、収入に応じた支出計画を立てるのでさほど無理がない。
まあ、こんなところが老後の経済的不安から僕を開放している要因なのかなと思います。
ところで、僕の父親の老後はというと、
80歳を過ぎた今も田舎のあばら家で日がな「面打ち」(能面彫り)をしています。
食事なども自給自足的で、生活は質素ですが、僕からするとかなりいい感じです。
たとえ、物やお金がなくても
「豊かで静かな精神」を持った「仙人のような老人」になる。
これが僕の理想です。
小原啓渡