小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.05.07
誇り
「ほ」、「誇り」で。
最近では、「誇り」より「プライド」という方が一般的ですね。
「プライドが傷ついた」などと言いますが、そのプライドって何?となると、かなり曖昧で、「自尊心」とは言えても、「自尊心」って何?となると、
また考え込んでしまうというのが実際のところでしょう。
僕が考える「プライド」とは、一種の「こだわり」ですね。
(僕の「こだわり」に関しては、「愚直」というタイトルで以前書いています)
あるいは、「自らの価値観に基づいた思い込み」とは言いすぎでしょうか?
といっても、「プライド」に対して否定的なわけではなく、
「生きる上での拠り所」「アイデンティティー」という意味では、むしろ肯定的です。
ただ、自らのアイデンティティーを何に求めるかは問題だと思います。
人に何かを言われたり、されて傷つくような「プライド」(アイデンティティー)なら、とっとと捨て去るべきで、そんな「こだわり」は、やはり単なる思い込みのような気がします。
外部からの刺激で「ムカッ」とすることは普通にあるとしても、そんな感情に捉われて、自分のくだらない思い込みをより強固にするのは得策ではないと思います。
「誇り」とは、もっと重厚で深く静かなものなのではないでしょうか?
例えば、「命を授けられたものとしての誇り」であるとか、
「かけがえのない宇宙の一部としての誇り」とか・・・・
ちょっとした勝ち負けや優劣に関わる「自尊心」など、まずは取るに足らないものだと考えることが大切な気がします。
(それを大げさにプライドなどと言わない)
「内に収縮するアイデンティティーではなく、外に開いた、外とつながるアイデンティティー」
「一生命体、人類としての誇り」
そういったスケールで「プライド」を持てればいいなと思います。
小原啓渡