小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.05.20

礼儀

「れ」、昨日書いた内容に関連して、「礼儀」で。

海外では、ほとんどお互いをファーストネームで呼びますよね。
相手が年上だろうが、上司であろうが、著名人であろうが関係ない。

良い悪いは別として、日本の「礼儀」の根本は、日本語の特異性(例えば敬語など)にあるような気がします。

ちょっと想像してみて欲しいのですが、もし会社でお互いを全てファーストネームで呼び合ったら・・・
呼び方一つですが、とんでもない変化が組織に、人間関係に起ると思いませんか?

このアイディアは、ある新聞社の部長が、お酒の席で冗談ぽく言われたことなのですが、もしもこうした「ファーストネーム運動」のようなものが日本で広まったら、すごく面白いことになるのではないかと思うわけです。

しかし元来、「礼儀」といのは、マナーとかエチケットとは違い、「人として行うべき礼の道」つまり儀式的な意味合いを持った「道」(どう)の世界であって、これは一つの日本の伝統的な文化でもあるわけですから、その辺はそういうものだという認識が必要かと思います。

ただ、「武士道」といったイデオロギーが日本から消滅しつつある今、この部分(形)にばかり捉われていては、国際社会の中で立ち遅れていく可能性もあるわけです。

それでは、国際社会における礼儀とは何かを考えた場合、それは「形式」ではなく、やはり他人に対する「心配り・気遣い」なのだと思います。

伝えやすい「形」から帰納法的に導き出す「本質」という考え方もありますし、「形」だけでも、何も無いよりはマシということも言えると思いますが、
「形」が「形骸」的な扱いになったとき、本質的な「礼儀」が消滅してしまう危険性があることも忘れてはならないと思います。

小原啓渡

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