小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.06.17

「は」、「墓」で。

田舎には小原家専用の墓地があって、20程の墓石が並んでいます。
(田舎では、大体どの家も自分の土地に墓地を持っています)

刻まれた文字が風化して読めない墓石も多く、仏壇に飾ってある写真も僕から3代前(明治時代)以降で、古い墓に葬られている祖先が一体どんな人だったのか今となっては知る由もありません。
(お寺に保管されている過去帳で名前が分かるくらいです)

インドでは、火葬して(もしくはそのまま)ガンジス川に流し、墓というものがないですし、日本においても古来の葬法は「風葬」ですから(古事記や日本書紀からも明白。与論島では明治初期まで風葬を行っていた)、後世に残すような墓はなかったようです。。

現形の墓が一般化したのが、江戸時代中期からということですから、最も古いもので約300年前、一世代30年としても10代ですから、夫婦別々だとすると小原家の墓石が20くらいというのに正当性が出てきます。

現在では「○○家の墓」として、一つの墓に納めるパターンも多いようですが、おそらく昔は違っていたのでしょう。

自分の死後を考えても仕方ないことですが、さすがにチベットの「鳥葬」や「風葬」も嫌なので、やはり「火葬」希望ということになりますが、
「墓」に関しては、生きてるうちに自分の好きなように建てておきたいなと思っています。

それにしても、僕が死んで10代後も、写真やこのブログなどが残っているとしたら、祖先や死者に対する思いは随分今とは違ったものになるのだろうなと思います。

300年後、僕の子孫がこれを読んでいると想像すると、なんとも奇妙な感覚に陥ってしまいます。

小原啓渡

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