小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.06.20
勉強
「へ」、「勉強」で。
「勉強する」って、どういうことなんでしょうね。
学校などで言われる「勉強」を具体的に考えてみると、体育や音楽・美術などを除くと、どの教科もほぼ「記憶する」とか「計算する」ということに集約されてくるような気がします。
もちろん、人間として最低限の知識と計算能力は必要であるとしても、僕の場合、受験勉強で山のように記憶したことで、今なお憶えていることなどほとんどありません。
つまり社会生活を送る上では、さほど重要ではないということになります。
それなら「勉強」は不要か、といえば違いますよね。
「勉強」というのは、「目的に達するために必要な事を学ぶ行為」のことを言うのではないかと僕は思っています。
そう考えると、重要なのは「目的」であるはずです。
もし受験勉強に問題があるとするなら、「いい学校に入れば人生安泰」といった、親や世間の価値観で勉強の目的を決められてしまう子供たちがいるという現実にあるのでしょう。
(本人の意思で「いい学校に入る」ことが、目的として定まっているのなら、何も悪くはないと思いますが・・)
自分の決めた目的を達成するために、
「自分に合った、より効率的な学習方法を見つけ出すこと」、
「その方法を継続的に実践する術(すべ)を身につけること」、
この2つを、試行錯誤しながら学ぶことが「勉強」ではないかと僕は思います。
もちろん、小学生などにそんなことが分かるはずがないという意見もあるかと思いますが、僕は逆に、幼少の頃から、そういったことを分かり易い表現と方法で教えていくことが「教育」なのではないかと思っています。
分からないだろうから、とにかく「詰め込む」「やらせる」というやり方では、物心ついた時には「勉強嫌い」になり、そのまま社会に出て、勉強することの大切さや楽しさを一生知らないまま人生を送る人間を増やし続けていくと思います。
社会に出てから続ける「勉強」こそが、その人の一生を決めると僕は思います。
小原啓渡