小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.07.05
意志
「い」、「意志」で。
「意志」とは、究極のところ「選択」だと思っています。
「何を、どう選択するのか」
「意志が強い、弱い」などという表現をしますが、「選択基準が変わらない、変わりやすい」と言い換えることができると思います。
「意志がない」とは、選択することを放棄した状態ですね。
「選択」には、あらゆる種類の「欲望」が絡んできます。
そして「欲望」には、あらゆる種類の「喜び」が絡みます。
従って、「意志が弱い」という場合、「欲望に流されやすい」といった意味合いになるわけですが、本来、人間は欲望を原動力にするという性質を持っていますから、欲望自体が悪いのではなく、「欲望の種類」、ひいては「喜びの質」が問題なのだと思います。
この「喜びの質」には、大きく分けると「短絡的な喜び」と「重層的な喜び」があると思っています。
「短絡的な喜び」とは、簡単にいうと直接的、即物的な「快楽」につながる喜び、「重層的な喜び」とは、「苦」を選択することで将来的に増幅する喜びであるとか、人を喜ばせることが喜びであるといった、間接的、精神的な「快楽」につながる喜びです。
つまり、「自分にとって何がより大きな喜びなのか」これを突き詰めことが「意志」を考える上で最大のポイントになるのだと思います。
ただ、知らない「喜び」を選択することは出来ませんし、「こういう喜びもあるよ」といくら言葉で説明されても、「喜び」は、「経験・体験」でしか認識すること、味わうことができません。
結局のところ、本当の意味で「意志が強い」といわれる人というのは、持って生まれた性質などではなく、「より深く大きな喜びを経験的に知っている人」と言えるのではないでしょうか。
小原啓渡