小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.07.08

落ち

「お」、「落ち」で。

漫才や落語でいう「落ち」に、僕はすぐれた創造性を感じます。

人を意図的に笑わせる技術というのは、並大抵のことではないと思いますが、その中でも「落ち」は重要な要素の一つですね。

僕が思う「落ち」とは、「痛快な裏切り」です。

常識的な展開と結末なら、誰も驚かないし、爆笑を誘うこともない。

予想外の結末に出会ったときや自分では思いもよらない結末で話が完結した時、人は驚きます。

そして、その展開と結末にユーモアがあれば、驚きが爆笑という形で表現されます。

面白い「落ち」に出会うと、「なるほど、そう来たか」と、ひとしきり笑った後で感心してしまうのが、僕の常です。

北野武監督、初期の映画作品には、漫才で培われたビートたけしの「落ち」の技術がうまく使われていたように思います。
観る者の予測を微妙に外し続ける展開、そして痛快などんでん返しなど、初期の北野武はやはり漫才師のビートたけしだったのだと僕には思えます。
そして徐々に、北野武という映画監督になっていった。

予測を裏切りながら納得させる、つまり、「目から鱗が落ちる」状態を創りだす。

「落ち」とは、目に着いた常識という鱗を「落とす」、卓越した技術だと思います。

小原啓渡

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