小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.08.13
ルクソール
「る」、「ルクソール」で。
1997年、11月、僕はエジプトの古代遺跡が集積する街「ルクソール」に滞在していました。
この街は、ナイル川によって東西が分断されており、太陽が昇る方角の東側には「カルナック神殿」など「生」を象徴する建造物があり、日が沈む西側には「死」を象徴する「王家の谷」(ツタンカーメンの墓は有名)などがあるのですが、まさか僕がこの街で「生」と「死」の間を通り抜けることになるなど思ってもいないことでした。
宿泊したホテルのロケーションが悪く、まともに使える公共交通機関がなかったので、滞在中はずっとタクシーを使って移動していましたが、最初に乗ったタクシーのドライバー(男性)から、いきなり生的な誘いを受けて(僕にはそういう趣味はない)、ヤバい街だなという感覚を持ちました。
そんなわけで、どうしても見ておきたい観光名所を絞り込んで、じっくりと回り、他の時間はホテルのプールサイドで読書をして過ごしました。
最後に残っていたのが「ハトシェプスト女王葬祭殿」でしたが、何らかの手違いで最終日のホテルが取れておらず、一日繰り上げてカイロに戻ることに決め、朝、カイロまでのチケットを手配してから、謎に包まれた建造物「ハトシェプスト女王葬祭殿」に行きました。
そしてカイロに戻ってすぐに、そこで起こったテロ「外国人観光客襲撃事件」を知りました。
イスラム原理主義のテロリスト集団が無差別に銃を乱射、日本人10名を含む、63名が死亡しました。
一日違い、しかも予定ではテロのあった日のほぼ同時刻に、現場に行く予定だったことを考えると、まさにすり抜けた感じでした。
後になってから考えた事ですが、ホテルで予約の不具合があった時、通常の僕なら「日本人だからと、なめられたくない」という思いが強く、特に海外ではとことんクレームをつけて主張を通すところが、「まあ、いいか」と思って、すぐにカイロに戻ることを決めたのは、やはり「虫の知らせ」ではなかったかと思うのです。
こうした事件に関わって実際に認識するかどうかは別にしても、実は、生と死の挟間をかいくぐるように人間は日々を生き抜いているのかもしれません。
小原啓渡