小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.10.12

「う」、「器」で。

「あの人は器が大きい」などと言いますが、人の「器」とは何なのでしょう。

一般的には男性に対して用いることが多く、「器量」「度量」「許容量」が大きい、もう少し具体的に言うと「寛容で落ち着きがあり、忍耐強く肝の座った有能な人」とでも表現すればいいのでしょうか。

ただ、僕の考えは少し違っています。

以前何かの本で、坂本竜馬が西郷隆盛を「小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く男」と称したという話を読んだことがあります。

西郷隆盛は、器の大きい人物であったと評されることが多いですから、坂本竜馬にとって器が大きいとは、「小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く」資質をもった人間である、ということになるのかもしれません。

もしそうなら、僕も坂本竜馬の考えにより近い気がします。

つまり、どこから見ても、誰が見ても「立派な人物」というより、「薄っぺらな人間が見れば同じ薄っぺらな人間に見え、有能な人が見れば有能に見えるような人物」こそが、器の大きな人間なのではないかということです。

「清濁併せ呑む」という言葉がありますが、まさにある時は悪人でありながら、ある時は聖人であるような人物、ある時はバカで、ある時は賢者に見える人、ワイルドでありながら知的であるとか、大人でありながら子供であるといった対極にある要素を、時と場合に応じて自然に使い分けることのできるバランス感覚を持ち、決して人格的に破たんすることのない人物。

「器の大きな人」とは、そんな人物ではないかと思っています。

小原啓渡

PAGE TOP