小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.10.26
町長
「ち」、「町長」で。
僕の父は、家庭を顧みない人だったように思います。
ほとんど一緒に暮らした記憶はなく、幼少時の思い出もありません。
ただ、人としてどうだったかというと、自分が社会に出て子供を持ってから思い始めたことですが、「なかなか面白い人」というのが正直なところです。
僕が高校生の時、何を考えたのか父は地元の小さな町の「町長」になりました。
それから5期、20年に渡って現職を続け、結局選挙に落ちることなく勇退し、功績が認められて国から勲四等瑞宝章を頂きました。
父が「町長」になった時には既に僕は地元を離れ、下宿をして高校に通っていたので、父の仕事ぶりを見ていたわけではありませんが、聞くところによるとかなりいい仕事をしていたようです。
僕が知っているだけでも、過疎化する町にスキー場をつくり、「全国高原マラソン大会」を始め、「つちのこ」に2億円の賞金をかけて話題を呼び、京都で物議をかもした「大馬鹿門」をいつの間にか引き取ってきて山の頂上に設置するなど町のPRに尽力するだけでなく、道路網の整備や農地の区画整理、学校の改築、企業の誘致などでも業績をあげ、県政へのオファーもあったようですが、あくまで地元にこだわって仕事を続けたようです。
「井戸塀」というのを信念にしていて(曲がりなりにも政治にかかわる者は井戸と塀だけの質素な生活を覚悟しなければならない、ということらしい)、実際、退官したときは祖父が嘆くくらい、なけなしの財産も食いつぶしていたらしい。
「町長」を辞した後は、地道に続けていた能面作りに打ち込んで、今ではお弟子さんを採るまでになっています。
父と一緒にどこかに行ったことも、まともに話したことさえないですが、自分が年をとればとるほど、父のことを理解し始めていることに気づきます。
小原啓渡