小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.07.26
ヌーヴェル・ヴァーグ
「ぬ」、「ヌーヴェル・ヴァーグ」で。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは、1950年代後半から60年代半ばにかけてフランスで起こった映画の「新しい波」のことで、
シャブロルの「美しきセルジュ」や、トリュフォーの「大人はわかってくれない」などが有名ですが、僕が好きなのはゴダールの「勝手にしやがれ」ですね。
古い車が好きなこともあって、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画の中に出てくる車(例えば「勝手にしやがれ」なら、主人公のジャン=ポール・ベルモントが乗っていたアルファロメオなど)をチエックするだけでも楽しく、当時のパリの様子や、ファッションやインテリアなどを見ているだけでも楽しめます。
実は、大学時代、8ミリなのに1時間半くらいの長編映画を撮っていて、「勝手にしやがれ」の、ブツブツとシーンが入れ変わる「ジャンプカット」という編集技法や、カメラワーク、脈絡のないセリフのテンポなどが白黒画面にマッチしていて小気味よく、随分と自分が撮る上で参考にしたものです。
「勝手にしやがれ」の面白さは、やはり、ストーリー性というよりゴダールの映像感性とセリフ回しにあると思います。
ジャン=ポール・ベルモントが演じるミシェルと、ジーン・セバーグが演じるパトリシアの会話のいくつかは今でも憶えています。(うる憶えですが・・・)
パトリシア;「傷心と虚無なら、どちらを選ぶ?」
ミシェル; 「虚無を選ぶね、傷心は妥協だよ、全てか無かだ」
この会話に、この映画のすべてがあるような気がします。
小原啓渡
2008.07.25
人間
「に」、「人間」で。
吉田拓郎の「人間なんて」という唄をご存知でしょうか?
「人間なんて、ララララララララ?、人間なんてララララララララ?、・・・」と、
同じフレーズが何度も何度も続きます。
この曲は吉田拓郎自身の作詞ですが、「ララララララララ?」の部分で、ホントは何を言いたかったのでしょうか?
色々あり過ぎて、表現することができなかったのでしょうか?
「人間なんて」これが全てで、「ララララララララ?」は単なる音のフレーズなのでしょうか?
聞いた人が、自分で考えろ、ということなのでしょうか?
吉田拓郎とコンビを組んでヒット曲を連発した「岡本おさみ」という作詞家が書いたエッセイに、
「言葉は声に出すと、嘘みたいに聞こえるから・・・」というのがありましたが、
拓郎も嘘みたいに聞かれたくなかったのでしょうか?
僕なら、どう続けるか。
人間なんて・・・、「なんて」に続けようとするなら、
やはり、「らららららららら?」、しかない気がするのが、人間の悲しさなのかもしれません。
小原啓渡
2008.07.24
夏
「な」、「夏」で。
いやぁ?、夏もまだ始まったばかりなのに、ほんとに蒸し暑いですね。
暑さには強いタイプですが、湿気がキツイです。
日仏共同プロジェクトをやっていた1992年から1998年までの数年間、夏はほとんどフランスで過ごしました。
南フランスでこの時期、国際フェスティバルがいくつか開催されていて、毎年どこかのフェスティバルに招待されるという幸運が続いたためでした。
「プロバンスの夏」をご存知の方には説明は不要だと思いますが、
日本とはとてつもなく違います。
何が違うかというと、やはり湿気でしょう。
気温はそれほど変わらなくても、湿気がないので、全く不快感がありません。
特に南仏は緑も多く風も抜けるので、木陰とかに入れば涼しく快適です。
南仏に「エキサンプロバンス」という小さな町があって、初めてこの町に入ったとき、強烈な「カルチャーショック」を受けました。
大げさではなく僕には、街に流れる時間が止まっているように思えたんです。
その感想を、フェスティバルのディレクターに話すと、
「3S、が揃うと、こうなるんですよ」と説明してくれました。
「3S」とは、「SUMMER」「SUNDAY」「SIESTA」、
つまり、夏の日曜日、お昼寝どき、プロバンスの時間が止まる・・・。
街中なのに驚くほど静かで、優しい光が溢れる午後のひと時は、
「もしあるなら、天国ってこんな感じかも・・・」と、思うほど美しく穏やかでした。
小原啓渡
2008.07.23
時計
「と」、「時計」で。
もう10年くらい前になるでしょうか、ロンドンのアンティークショップで、
「ローレックス 1960年」と書かれてある時計を見つけました。
思わず目をとめたのは「1960年」が僕の生まれ年だったからです。
「僕と同じ時間を刻んできた時計だ」と思うと、妙に親しみを感じ、手にとって見せてもらいました。
革バンドで、文字盤はベージュがかったほのかなピンク、今までに見たことのないタイプのローレックスでした。
ローレックスを買えるような身分でもなく、その時はほとんど現金も持ち合わせていなかったのですが、どうしても欲しくなって、当時持っていたクレジットカードでもし買えたら、買おうと決めました。
そのことを、店の人に話し、カードをチェックしてもらいました。
幸か不幸か、カードは通りました。
ところが、意気揚揚、日本に持ち帰って使い始めてすぐに動かなくなり、ロレックスの代理店に持っていきました。
ちょうど僕の前のお客さんも修理に来られていたのですが、お店の人から「申訳ございません、これは当社の正規品ではないので、ご修理承ることができません」と言われて、動揺しているのを見て、「もしや僕のも偽物?」とかなり焦るはめになりました。
正規のショップではなく、アンティークショップです。
しかもよく見かけるローレックスとは微妙にタイプが違い、値段も比較的安くて、すぐに動かなくなった。
「あ?、どう考えても偽物や・・・、でも自分が気に入って買ったんだから、まあ、ええか」とまあ、その時点で、自分を慰めるモードに入っていました。
結果は、「本物」。
過去の所有者の情報や修理記録まで詳細に残っていて、さすがにローレックスだなと感心しましたが、「分解修理が必要ですね、修理代は7万くらいです」と言われて、僕はすごすごと時計を持ち帰ったのでした。
そして、このロレーックス、今でも故障したまま僕の机の中で眠っています。
小原啓渡
2008.07.22
てるてる坊主
「て」、「てるてる坊主」で。
僕が子供の頃は、お祭りとか運動会の前日、天気が怪しいと「てるてる坊主」を作って軒下に吊るしたものですが、今はどうなんでしょう?
少なくとも我が家の子供たちが「てるてる坊主」を作っているところを見た事がないし、「てるてる坊主」が話題になったこともないような気がします。
昔の予報に比べ、今ではより限定したエリアや時間帯の降水確率がほぼ正確に得られるようになり、「てるてる坊主」の出番が無くなったということだと思いますが、何となく寂しい気がします。
科学が発達して、色々な予測が正確になったことは喜ぶべきことだとは思いますが、その分、願ったり、祈ったりといった「思い」の部分が少なくなってしまったように思います。
未来に願いや祈りを込めるのではなく、データをもって予測するという方法論が進めば進むほど、社会や人はより現実的になっていき、こうした傾向は、無意識な領域における「希望の喪失」を増殖させると僕は考えています。
過去のデータを基に未来を割り出すということは、過去の延長線として未来が存在するだけで、新しい未来の創造という概念から遠ざかり、未来に対する期待や希望が持てない状況を生み出します。
そして、未来は科学者の予測する未来から逸脱することが出来なくなります。
見え過ぎる未来は、人々から活力を奪い、諦めを蔓延させる危険性を含んでいるのです。
僕にとって「てるてる坊主」は、純粋なる「希望」の象徴です。
今、子供たちに、科学を学ばせるのと同じように、「思い」や「願い」や「祈り」の大切さを伝える努力が必要な気がしてなりません。
小原啓渡
2008.07.21
つかこうへい
「つ」、「つかこうへい」
よくよく考えてみると、僕が初めて観た「演劇」は、つかこうへいさんの「熱海殺人事件」でした。
といっても、大学に入ってすぐ、同志社の新町別館という教室のような空間で、大学の演劇部がやっていた公演でした。
兵庫の田舎の出身で、高校時代も映画館で映画すら見れない(町に映画館がなかった)状態だったので、演劇やコンサートなどとは全く無縁の人間でした。
この芝居が、現在の職業を選んだ直接の原因になったわけではないのですが、かなりの衝撃を受けたことは確かです。
思い出すのは、ストーリーや展開の面白さもありますが、やはり人が目の前で演じる「ライブ感」「迫力」に圧倒されたことですね。
ただ、その公演を見て、役者になりたいとか、脚本を書いてみたいというようなことはなく、演出に使われていた一本の赤いレーザー光線に特に興味を持ったことを憶えています。
そう考えると、後に舞台の照明技術者としてこの業界に入った自分の興味の対象が、その頃から光や演出に向いていたのかなと思います。
なぜ、どういうきっかけで、誰とその芝居を観たのかは思い出せないのですが、何かのきっかけはあったはずで、今の自分の仕事に関連させると、その「きっかけ」が大切なんですね。
まったくお芝居など舞台芸術に縁のない人たちに、きっかけを与えて縁を創っていくのが自分の仕事の一つであると認識しているので、何とか思い出そうとするのですが、思い出せません。
それほど、偶然というか、フラッと入ったのかもしれません。
今、近畿経済産業局と、舞台の当日券情報を集めて格安で販売する「Tickets」という事業を立ち上げている最中なのですが、まさにこの事業の目的は「縁のない人たちに舞台との縁を創る」ことだと思っています。
すでに舞台と縁がある人は、基本的に自分で情報を探して、前売り券を購入します。
ただ縁のない人はどうでしょう。
たまたま、駅などで、今日やっている公演情報を目にする、しかもそれが格安、ちょっと見てみようかと思う、
たまたま観光に来ていて、夜のスケジュールが決まっていない、前売りなど買っていないから、今日やっている公演情報と当日券が街の中心地にあるなら行ってみよう。
時間があるから、何となく面白そうだから、そういった軽い動機を刺激して、舞台芸術に触れてもらう仕組みが一つでも増えれば、観劇マーケットが拡大することにつながるだろうというのが、この企画の狙いでもあります。
まだ超えなくてはならない壁がいくつかありますが、うまくこのシステムが立ち上がり、多くの人と舞台との縁結びができればと、実現に向けてがんばっています。
小原啓渡
2008.07.20
知行合一
「ち」、「知行合一」で。
「知行合一」とは、実践の学問といわれる「陽明学」の命題で、
「知って行わないのは、未だ知らないのと同じである」、つまり実践を伴って初めてその知識は完結するという意味ですね。
「陽明学」は、「知行合一」の他に「心即理」「到良知」すなわち、心が私欲によって曇っていなければ、心と理は一体であり、全ての人が本来は聖人であると主張し、
聖人は学問の研鑽と静坐により達成した人、万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」を唱える「朱子学」に真っ向から異論を投げかけた学問です。
「行動」を最重要視する僕としては、もちろん「陽明学」を支持しますし、陽明学から多くを学んだことも事実です。
ただ、王陽明が朱子学に異論を唱えたように、僕も陽明学に異論を投げかけたい気持ちを持ち続けています。
「啓渡学」(洒落です)は、敢えて「行先知後」(行動が先にあり、その経験から学んだものが知である)を主張します。
陽明学が、「実践・実行の学問」なら、啓渡学は、「行動の学問」です。
何が違うかと言えば、実践や実行というのは、知があっての、あるいは、知と行が表裏一体の考え方ですが、行動というのは「知」だけで起こるものではないという部分です。
好奇心であったり、衝動であったり、そういったものも行動を誘発します。
「啓渡学」では、行動によって学ぶ「知」を重要であると考えます。
例えば、幼児には基本的に「知」はありません。
好奇心に動かされて、火に触れ、火傷をして「知」を一つ獲得します。
その経験の積み重ねが「知」を育て、その「知」をベースに学問の研鑽へ向かいます。
つまり「啓渡学」の根幹は、純粋なる「好奇心」によって「行動」を導き、その経験から「知」を獲得するという考え方です。
そして、朱子学においても陽明学においても言及している「聖人」に関していうなら、「幼児のような好奇心に溢れた無垢な瞳」を持った人、これこそが聖人の証であると啓渡学では考えます。
(こんな事を書くと、陽明学や朱子学を専門に研究されている方からお叱りを受けそうですが、素人のたわごとだと容赦頂ければ幸いです)
小原啓渡
2008.07.19
大切
「た」、「大切」で。
「大切なもの」、考えると色々ありますが、自分の人生で最も大切なものってなんでしょうか?
「命」とか、「仕事」とか、「家族」とか、「夢」とか・・・
「人生」というくくりで考えるなら、僕にとって最も大切なものはやはり「生き方」だと思います。
「どう生きるか」の中に、前述した要素のすべてが含まれていると思うからです。
自分が死んだとき、その墓石にもし何かことばが刻まれるなら、どんなことばがいいだろうと考えたことがあります。
一言で語りつくせるような人生などないだろうし、死ぬ前に自分で決めるようなことでもないのですが、自分がどう生きたいかを確認する上では、いいシュミレーションになると思います。
出来あがった「辞世の句」ともいえることばを検証すると、確かに自分自身の宗教観や哲学、価値観や夢などが、何重にも折り重なっているのがわかりました。
一度、皆さんも考えてみてはいかがでしょうか。
大好きなニーチェやフロイト、アインシュタインやクリシュナムルティーの影響をもろに受けている、ある意味で僕の辞世の句を公表すると、
「強壮なる風の中、飛び続けた一本の矢、死してなお高みを目指す」
(人に見せるにはキザすぎますが、一応ここに残しておけば安心です・・・)
小原啓渡
2008.07.18
疎水
「そ」、「疎水」で。
学生時代、京都の北部、上鴨神社のすぐ近くのボロアパートに住んでいて、そのアパートから目と鼻の先に、京都らしい景観という表現がぴったりの「疎水」が流れていました。
ある日、その疎水でテレビのCM撮影をしている現場に出くわしたのですが、そのモデルが「夏目雅子」さんでした。
当時、僕は大学の写真部に所属していましたが、田舎者で世間知らずだったこともあるのでしょう、撮影が押していて、暇そうに木陰で休んでいる夏目さんに直接、「あのぉ、僕、写真やってるんですが、撮ってもいいですか?」と聞きにいきました。
それに気づいたお付きの人がすぐに飛んできて、むげに断られましたが、なんと、夏目さんが、「いいですよ」と言ってくれたんです。
今から考えると、その時の僕の行動は完璧に「終わっています」が、何度か注文を出しながら、浴衣姿の夏目雅子さんをモデルに、フィルム一本分を撮り切りました。
それ以来、僕がすっかり夏目さんのファンになったのは言うまでもないことですが、年に一度の写真展にもその作品を出しました。
僕が在学していた当時の「同志社カメラクラブ」は、最終期の学生運動(主に三里塚闘争)に関わっていた者も多く、作風はかなりハードなものがほとんどで、そんな作品の中に「夏目雅子」ですから、僕がどれほど先輩達からバカにされたかは説明する必要もないでしょう。
その後、夏目さんは人気の絶頂期に白血病で亡くなり、伝説の女優になりましたが、僕もその後、大学を辞め、すべての所持品を処分してインドに行ったので、その作品はネガも含めて今は一枚も手元に残っていません。
ただ、その写真展の期間中に「どうしてもこの写真を譲って欲しい」という女性が現われて、会期後にお譲りしたので、もし彼女が今でもそれを持っているとしたら、いろんな意味でかなり価値が高いと思います。
たまたまでも、その女性がこのブログを見て連絡をくれるなんてことがあれば最高なんでしょうが、夏目さんと一緒にその写真も消えたっていうのも、それはそれで素敵なのかもしれませんね。
小原啓渡
2008.07.17
世界
「せ」、「世界」で。
「グローバリゼーション」や「グローバル化」という言葉をよく耳にします。
一般的に、国家や地域を越えた地球規模の結びつきにおける社会変化や過程を言いますが、近年「グローバル化」が急速に進んだ背景には、インターネットの爆発的な普及をその要因に挙げることができると思います。
例えば、「グローバル化」を経済の視点から見ると、マーケット規模の拡大がありますね。
日本の人口が1億人(実際は1億3千万以上)として、ターゲットとなるマーケットが1%とすると、100万人ですが、これを世界人口(約65億人)に単純換算すると、6500万人(日本の人口の約半分)のマーケットが出現するわけです。
つまり、日本国内では100人に一人にしか興味を持たれないようなニッチなフィールドや商品でも、世界規模で考えると十分なビジネスマーケットが開かれているということになります。
そして今後ますますこの傾向は加速していくでしょう。
今はあらゆる分野において、「世界」を視野に入れた考え方、戦略が必須だと思います。
小原啓渡