小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」

2008.07.06

「う」、今日は時間がとれません、短く、「運」で。

「運がいいとか、悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う・・・」という歌がありましたが、
ほんとにそうなのだろうか?と疑問です。

また、「運をつかむ」とか「運を引き寄せる」という表現に至っては、まるで「運」が、自分の外を流れているもの、自分の力ではどうしようもないもの、といったニュアンスで一般化していますが、これもほんとにそうなのだろうか?と疑問に思っています。

それなら僕にとって「運」は、というと、自然界のバイオリズムは別として、
「自ら創造するもの」だと考えています。

ただ、「運を創造する術(すべ)」を会得することができるかどうか、それが大問題なわけですが・・・。

小原啓渡

2008.07.05

意志

「い」、「意志」で。

「意志」とは、究極のところ「選択」だと思っています。

「何を、どう選択するのか」

「意志が強い、弱い」などという表現をしますが、「選択基準が変わらない、変わりやすい」と言い換えることができると思います。
「意志がない」とは、選択することを放棄した状態ですね。

「選択」には、あらゆる種類の「欲望」が絡んできます。

そして「欲望」には、あらゆる種類の「喜び」が絡みます。

従って、「意志が弱い」という場合、「欲望に流されやすい」といった意味合いになるわけですが、本来、人間は欲望を原動力にするという性質を持っていますから、欲望自体が悪いのではなく、「欲望の種類」、ひいては「喜びの質」が問題なのだと思います。

この「喜びの質」には、大きく分けると「短絡的な喜び」と「重層的な喜び」があると思っています。

「短絡的な喜び」とは、簡単にいうと直接的、即物的な「快楽」につながる喜び、「重層的な喜び」とは、「苦」を選択することで将来的に増幅する喜びであるとか、人を喜ばせることが喜びであるといった、間接的、精神的な「快楽」につながる喜びです。

つまり、「自分にとって何がより大きな喜びなのか」これを突き詰めことが「意志」を考える上で最大のポイントになるのだと思います。

ただ、知らない「喜び」を選択することは出来ませんし、「こういう喜びもあるよ」といくら言葉で説明されても、「喜び」は、「経験・体験」でしか認識すること、味わうことができません。

結局のところ、本当の意味で「意志が強い」といわれる人というのは、持って生まれた性質などではなく、「より深く大きな喜びを経験的に知っている人」と言えるのではないでしょうか。

小原啓渡

2008.07.04

愛ー1

「あ」、「愛」で。

今日から5周目、「愛」の定義に少しだけ挑戦してみましょう。

まず、一般的に言われている「恋愛」と、僕が考える「愛」は違います。

「恋愛」というは、結局のところ、相手をどれくらい「好き」かということであって、相対的に、少し好きというのが「恋」、とても好きなのが「愛」、それを総称して「恋愛」と呼んでいるのではないかと思っています。

ただ、僕が考える「普遍的な愛」というのは、誰かは愛するけれど、誰かは愛さないといったものではない気がします。

「愛」はすべての存在の根源である、と思っていますが、人によって相違があるように思えるのは、「愛」の普遍性に気づいている度合に個人的な違いがあるからだと思っています。

つまり、愛の深さは、愛に対する気づきの度合いと、愛に関する認識の深さによるものではないかと思うのです。

これから先、何周までこのブログが続くかは分かりませんが、周初めの「あ」は、少しづつでも、「愛」に関して書いていきたいと思います。

小原啓渡

2008.07.03

「わ」、今日で4周目終了、ということで「輪」

「メビウスの輪」は、帯状のひもを一ひねりして端と端を連結した形で、片面を辿っていくと、いつかその面の裏に辿りつく、つまり裏と表の定義が出来ないという特徴を持った「輪」のことですね。

「メビウスの輪から抜け出せなくて・・」というガンダムの歌詞がありますが、このブログも明日から5周目、何となく今さら止めれないというか、「メビウスの輪」にはまり込んでいる感じです。

ネズミが「回し車」の中を走り続けることから、同じパターンで同じ行動を繰り返すことを「ラットレース」などとも言い、「メビウスの輪」をマイナスのイメージで捉えることもありますね。

確かに、このブログを書くための時間が極端に少ない日や、言葉がなかなか思い浮かばないこともあり、ストレスに思う時もありますが、そういった場合以外は楽しく書けているので、「エンドレスに変化する」という気持ちで、できる限り続けていきたいと思っています。

とにかく、ほぼ毎日書き続けて4周、一周が44語ですから、今までに一遍が短いとはいえ176編の文章を書いてきたと考えると、「塵も積もれば山となる」ですね。

ただ、なるべく意味のある文章を書いて「塵が積もってゴミ」にならなようにしたいなと思います。

小原啓渡

2008.07.02

ロック

「ろ」、「ロック」で。

「ロック」と言えば、やはり僕らの世代は 「ローリング・ストーンズ」

同じ1960年代初頭にデビューした優等生的な「ビートルズ」とは対照的に、不良なイメージを貫き通している「ストーンズ」の方が僕は好きですし、ミック・ジャガーやキース・リチャードの独特な「渋さ」には、やはり男として憧れますね。

50年近く一度も解散することなく世界の第一線で活躍する彼らのパワーは、まさに「ロック」の原型だと思います。

ところで、2003年、来日ツアーでのこと。

大阪公演のチケットを手入し、早く見たいとずっと楽しみにしていたのですが、当日、何を血迷ったのか僕は会場の「大阪ドーム」ではなく、間違えて「大阪城ホール」に行ってしまったのです。

普通の人ならいざ知らず、一応この業界の人間が、会場を間違えるなんて、よほど「とち狂っていた」としか思えません。

しかも早めに会場近くまで行って、ゆっくりお茶を飲み、開演時間ギリギリに「城ホール」に着いたので、それから「ドーム」に向かっても間に合いません。
あまりの情けなさに、血の気が引きました。

またこういう時に限ってタクシーはつかまらず、道も混んでいて、ドームに到着したのは開演時間を40分以上も過ぎてから。

が、何と、コンサートはまだ始まっていなかった。

「えっ!、時計、狂ってた?」 と本気で思いました。

何がなんだか分からないまま、席に着いた途端に客電がフェードアウト。

コンサートが始まり、最高のパフォーマンスに酔いしれました。

後で聞いた話ですが、開演が遅れた理由は、ミックが会場入りに1時間ほど遅刻したからだそうです。(さすが、不良ですね)

ひょっとして、ミックも間違えて、「城ホール」に行ってしまったのでしょうか?

小原啓渡

2008.07.01

レンゲ

「れ」、「レンゲ」

ちょっと少女趣味っぽく思えるかもしれませんが、子供の頃の記憶でよく思い出すのが「レンゲ畑」

実際は畑ではなく田んぼなのですが、レンゲが一面に咲き誇る春の時期だけ、泥臭い田んぼが一転、美しい花畑になったのは事実です。

もう今では僕の田舎でも、目にすることが随分減りましたが、子供の頃は春になると、すべての田んぼが「レンゲの花」で埋まりました。

化学肥料がなかった時代、レンゲは田んぼの「肥料」として使われていました。
稲刈り前に種をまいておいて稲を刈り、翌春、田植え前に生い茂ったレンゲを鋤き込んで田んぼを耕すというサイクルだったと思います。

また当時は耕運機などなく、牛で田んぼを鋤いていましたが、その牛の「飼料」にもなっていたので、「レンゲ」は、稲作には無くてははならない貴重な植物だったわけです。

「リサイクル」とか「自給自足」とか「循環型社会」などという言葉をよく耳にしますが、考えてみれば、人だけでなく、牛の視点から見ても、自分が耕した田んぼでとれた「レンゲ」を牛が食べるわけですから、まさに「循環型」の実例ですね。

まったく無駄がなくて、自然に優しいだけでなく、見渡す限りレンゲが咲き誇る景色は、本当に美しかった。

男の子も女の子も子供達はみんなその時期、レンゲ畑で終日遊んでいました。

僕がそんな情景を思い出すのは、とても疲れているときです。

ちなみに、「レンゲ」の花言葉は、

「わたしの苦しみをやわらげる」 なのだそうです。

小原啓渡

2008.06.30

ルート

「る」、「ルート」で。

「ルート」とは、いわゆる行程・道のりの事ですが、僕は基本的に「ルート」に執着しないですね。

計画性がないというより、目的地・目標さえ明確に決まっていれば、そこに行きつくためのプロセスにあまりこだわらないということです。

もちろん、最短で行けるルートは探りますが、早ければ良いというものでもないと思っていますし、あまり計画にこだわり過ぎると、大切なものを見失ってしまう気がします。

「大切なもの」というのは、「勘」ですね。

例えば道が二つに分かれているとします、一方の道の方が近道だと記されていても、もう一方の道の方が何となく良さそうだと思えば、そちらの道を選びます。

近道が安全という保証はないし、距離が近くても障害物が多くて、逆に時間がかかってしまう場合もあるかもしれません。

自分の前に何が待ち受けているかなんて、正確に見える人なんていないですし、要は目的地に辿りつけばいいわけですから、標識(常識)に従うより、自分の勘で決めた方が後悔もないと思っています。

そして僕の場合、目的地さえ明確に決まっていて、そこを目指す道の途上にさえいれば、行き着くまでに死んでしまおうが、後悔はしません。
(到底、死ぬまでには行きつけないだろうと思えるようなところを目的地にしているということもありますが・・・)

「目的地は一つだけれど、そこに至る道は、星の数ほどある」

僕にとって重要なのは、「ON THE WAY」
つまり、自分が行くべき目的地への途上にいることを実感して生きることです。

小原啓渡

2008.06.29

リノベーション

「り」、「リノベーション」で。

「リノベーション」とは、「ただ単に古い建物を新しい状態に戻すことではなく、建物に新たな付加価値を与える変更」の事ですから、ポイントは「新しい付加価値」、ということになります。

2003年に京都の西陣で、倒産したある会社の社員寮(3階建のビル)をアーティスト専用の宿泊施設に「リノベーション」し、今年の3月まで運営しました。(アーティスト・イン・レジデンス京都)

土地オーナーが、自宅をその場所に建てたいということで止む無く閉鎖しましたが、6年間に渡り国内外多くのアーティストの方々にご利用頂きました。

「AIR京都」の閉鎖話が持ち上がってきた今年のはじめ、大阪の名村造船所跡地で展開している「クリエイティブセンター大阪(CCO)」近くで、古い日本旅館が空いたという情報が入り、スタッフと共に見学に行きました。

京都の「AIR」も、最初はかなり傷んでいましたが、それに数倍輪をかけたくらい荒れた物件で、(長年営業をされておらず、年老いた女将さんが一人で住んでおられたようです)見学したスタッフのほぼ全員が、尻込みしたくらいでした。

ただ、「AIR京都」は「保養所」という登録でしたが、こちらは法的な「旅館業」を引き継げるということと、「CCO」の付属施設として有効であるという利点があり、最終的には、借り受けを決定して、すぐさま「リノベーション」に取り掛かりました。

といっても、「AIR京都」同様、資金がないため、リノベーション作業をするのは、基本的に当社のスタッフとボランティア、
何とかオーナーさんの協力も頂き、最低限の形が出来上がり、旅館業の手続きも終えて、この春「AIR大阪」をオープンすることができました。

女将は、東京からわざわざ当社に入るために大阪にやってきた変り種、まだ20代前半の女性スタッフですが、「AIR大阪」に住みこんで、日々意欲的にリノベーションと運営に取り組んでくれています。

彼女の奮闘をつづっている「AIR大阪ブログ」、新卒の若いスタッフでもここまでやれる、という意味でも、是非読んでみてください。(http://www.partita.tv/air/

僕自身が「AIR京都」に住み込み、最初の管理人をやったので、彼女の苦労はよく分かります。

本当によく頑張ってくれていると思っています。

小原啓渡

2008.06.28

ラーメン

「ら」、昨日、「屋台」を書いたので連想ゲーム、というわけでもありませんが今日は「ラーメン」で。

三条木屋町を下がったところにある「長浜ラーメン」、前を通るとお腹が空いてなくても入ってしまいます。

なぜかというと、僕が京都で学生をしていた30年近く前から変わらない、ほぼ同じ内装、8人程しか座れない狭いカウンター、扉がなく、まさに屋台感覚、オリジナルの高菜からゴマ、油カス、生姜、トウガラシ、カレー粉までトッピング自由、もちろん替え玉ありで、学生時代に思わずタイムスリップしてしまうからです。

みんなでワイワイ飲んだ後の深夜、決まって、ここでラーメンを食べました。

そんな思い出の情景がはっきりと浮かんできて、「あ?、あの時は、あいつが暴れた後、血だらけであの席に座ってて、その隣にあいつがいて・・・」と、そんなことを思い出しながら、まったく同じ味のラーメンをすする。

僕のトッピングも昔と同じ、高菜とゴマとトウガラシ、そして最後のスープにカレー粉。

少し店が流行ると、すぐにチェーン展開を始める昨今のラーメン屋と違い、その店一店を守り続けている姿勢にも好感がもてます。

僕はグルメではないし、特にラーメン好きというわけでもないので、他の店のどのラーメンと比べて味はどうか、等は分かりませんが、僕にとっては、どの店にも代えがたい「ここだけの味」があるんです。

小原啓渡

2008.06.27

屋台

「や」、「屋台」で。

福岡などにまだ僅かに残っている「屋台文化」とも言える街の一つの景観が、日本だけでなくアジア全域から徐々に消え去ろうとしています。

路上での営業に伴う衛生上の問題や営業権の問題、交通や裏社会との関係等々、複雑な問題が絡み合っているのはわかりますが、実際、九州に行くたびに、あるいは東南アジアに行くたびに、屋台の数が減っていくのを実感し、僕としてはなんとも悲しい気分になってしまいます。

昨年だったか、元OMSのプロデューサーの山納さんと二人で、上海のアートエギジビションに行った時、夜、一人で何か食べようと旧市街に出ました。

何となく雰囲気に惹きつけられて屋台が何軒も並んでいる寂れた通りを歩き、その中の一軒に腰を下ろそうとすると、そこに先客で山納さんが一人でビールを飲んでおられました。

待ち合わせたわけでもないのに、不慣れな街で、同じ「屋台」を選んでしまうというのは、同業種とはいえ面白いものですね。

崩れかけのビルの前にあるその屋台で、粗末だけど妙においしい中華をつまみ、深夜までビールを飲み交わしながら、
「もう、何年後にはこの辺りも開発されて、屋台もなくなってしまうんでしょうね」と、しみじみ二人で話したのを思い出します。

街が隅々まで管理され、衛生的になるのは、一般的にはいいことなのでしょう。
ただ、そうして画一的になっていく街が、ほんとうの意味で美しく、魅力的な街といえるのかどうか、僕は疑問を感じずにはいれません。

小原啓渡

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