小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.06.06
空
「そ」、「空」で。
ネパールのカトマンドゥーでの話。
無数にある安宿の中から何となく選んだホテル、エレベーターなどない6階の狭い部屋。
息を切らして階段を上がり、ドアを開けると、開け放しになっていた窓から、茜色に染まった空が見えました。
その空の美しさに、旅の疲れも忘れて、しばらく見入っていました。
ふと窓側の壁をみると、日本語で一編の詩が書いてありました。
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多良山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
高村光太郎の「あどけない空の話」という詩でした。
何だか「ドキッ!」としました。
小さなベッドだけで一杯になるほど狭く、汚れた異国の安ホテルの壁に、マジックペンで直接書かれていた「あどけない空の話」は、その部屋から見える「空」にあまりにもマッチしていたからでした。
そして、決してうまいとは言えない、その特徴のある字を毎日見ているうちに、
「ひょとして、これ、カメが書いたのかも・・・、まさか」と思うようになりました。
カメは僕の親友のあだ名で、確かに1年ほど前にカトマンドゥーに来ていましたが、まさか数ある宿の中で、同じホテル、同じ部屋を選ぶわけがないと、その思いを打ち消しました。
帰国後にこの事を思い出し、まさかとは思いましたが電話をしてみました。
「おまえ、カトマンドゥーで泊まったホテルの壁に詩、書かへんかった?」
「えッ、智恵子抄のこと?、なんでお前そんなこと知ってんの?」
とても不思議ですが、実際にあった・・・、あどけない空の話です。
小原啓渡
2008.06.05
性格
「せ」、「性格」で。
「お前の部屋を見せるがいい。そうすれば、お前の性格を言い当てて見せよう」
とは、僕が好きな作家の一人(特に「地下室の手記」は何度も読みました)、
ドストエフスキーの言葉です。
「性格」とは、辞書的に言うと「ある人を特徴づけている基本的な感情や意志、あるいは行動傾向」ということになるのでしょうが、上記ドストエフスキーの言葉は、より具体的かつ的確で、しかもウィットに富んでいると思います。
実際、自分の部屋を見てみると、確かにことばでは説明し切れない自分のこだわりや嗜好、行動傾向というものが現われているような気がします。
自室というのは、基本的に自分だけの空間で人に見せるものではないので、人前での言動やファッションなどよりも、内面的な「性格」が如実に現れるのかもしれません。
そう考えると、実存主義の先駆者ともいえるドストエフスキーのことばにより深みを感じます。
最近「片付けられない症候群」などという言葉をよく耳にしますが、これが現代人に多い性格の傾向だとしたら、ちょっと問題で・・、現代社会をひも解くひとつの切り口になるかもしれませんね。
小原啓渡
2008.06.04
すっぽん
「す」、「すっぽん」で。
「すっぽん」といっても、亀ではなくて、歌舞伎用語の「すっぽん」
「すっぽん」とは、花道上の七三(舞台から三分、揚幕から七分)にある「切り穴」のことで、歌舞伎の世界では、この世のものでない妖怪などが出没するという約束事のもとで演出に使われます。
現代では電動の昇降装置が用いられていますが、現存する最古の歌舞伎小屋、四国こんぴらの「金丸座」など江戸時代の歌舞伎小屋では、役者を板に乗せて神輿のように持ち上げて登場させていました。
(金丸座は一般の方でも見学できたと思います)
すっぽんを使う演目で印象深いのは、「義経千本桜」(四の切)の狐に姿を変えた忠信、「千代萩」のねずみに化けていた仁木弾正ですね。
ところで、なぜ「すっぽん」と言うようになったのかを歌舞伎関係の先輩に聞いたことがありますが、「切り穴からセリ上がってくる役者の姿が、亀の首が出てくるのに似てるやろ、だからや」と言われましたが、真偽のほどは・・・・。
とにかく、歌舞伎好きの僕としては、是非みなさんにも、もっと歌舞伎を観て欲しいのであります。
上記「千本桜」も「千代萩」も自信を持ってお勧めできる作品です。
「千代萩」では、幼い主君を守るために我が子を犠牲にした乳母(政岡)の「クドキ」(女形が三味線や竹本の語りにのって様式的な動きで心情を表現すること)のシーンは、何度見ても泣いてしまいます。
いやぁ、歌舞伎って、ほんとうに面白いのです。
小原啓渡
2008.06.03
仕事
「し」、「仕事」で。
「いい仕事してますね?」という言い回しが流行りましたが、これを他の言い方に変えるとしたらどうなるのだろうと考えました。
「いい作品ですね?」というのが近いような気がします。
僕にとって「仕事」とは、ある意味で、自分もしくは他者と創る「作品」です。
もちろん、「創る」というのは、目に見える「物」だけではありません。
モノづくりとは関係がないように思える営業や研究や単純な肉体労働でも、社会に貢献する素晴らしい会社を創るとか、一つの理論を創るとか、無数の労力でピラミッドを創るとかの違いはあっても、やはり「作品」を創っているのだと思います。
つまり、自分が関わり、やり遂げた成果(仕事)は自分の実績であり、「作品」だと思います。
アーティストには定年はありませんし、これで完璧という作品もないことを考えると、本来「仕事」とは、一生やり続けることができるものだと思っています。
少なくとも、単純に「お金を稼ぐためにする作業」だとは思いたくないし、そんな考えで仕事をしていても、「いい仕事してますね?」とはならないでしょう。
どんな小さな仕事でも、これが自分の「作品」だという気持ちで取り組み、より納得のいく「作品」を創るために試行錯誤し続け、実績を積み上げてく人に、「お金」においても、より高い報酬が与えられるのだと思います。
そして、「いい仕事(作品)だね」という評価を受けることで、人は本当の「自信」を身につけ、自分の存在意義を実感できるようになるのではないでしょうか。
小原啓渡
2008.06.02
偽客(さくら)
「さ」、「偽客(さくら)」で。
「さくら」の語源を調べてみると、江戸時代の芝居小屋で役者に声をかける「偽の客」が、パッと派手にやって、パッと消えることから、桜の性質になぞってそう呼ばれるようになったというのが有力なようです。
露天商などの「さくら」も有名ですが、最近ではお店の前に並んで列をつくる「ならび屋」なるものもあるようで、考えてみると、この「さくら」って人間心理をかなり的確に突いていますよね。
自分では判断しかねている状態の時に、他の誰かが踏み切ると、安心感が出てきて自分も・・・とか、舞台の場合だと「観客巻き込み型」という手法があって、「さくら」を使って「見る側」と「見せる側」の境界を外し、一体感を作り出すというのも、うまいやり方だと思います。
元来「さくら」は、他の客を騙し切って姿を消すのがその役目だと思いますが、最近では「さくら」の種明かしをしたり、「さくら」を最初から「偽客」と気づかせつつ他の客を引き込むといった手法も使われています。
販売活動などで「さくら」を使うのは一種の「詐欺」ですから、買う側としても注意が必要ですが、エンターテイメントとしての「さくら」は、場を盛り上げる要素にもなるので、色々工夫して試してみるのも良いかもしれません。
ベガスで見た「ズーマニティー」というヌーボーシルクのショーでは、初老の夫婦が舞台に上げられてMCからさんざん「いじられ」た揚句、最後に強烈な力技のアクロバットを披露して、観客の度肝を抜くという演出がありましたが、僕も完璧に騙されました。
「さくら」には、演技が見えてしまっては失敗に終わるという、かなり高度な演技力が必要で、非常に重要な役回りになる場合が多いですね。
楽しい「サプライズ」は、落差が大きいほど嬉しいものです。
小原啓渡
2008.06.01
こけら落とし
「こ」、「こけら落とし」で。
「こけら落とし」とは、劇場のオープン時に初めて行う催し(興行)のことですね。
「こけら」とは材木を削った時に出る木屑のことで、新築や改築工事の最後に屋根などの「こけら」を払い落したことから「こけら落とし」と言うようになりました。
僕も今までに、いくつかの「こけら落とし」に仕事で関わりましたが(新装南座、大阪松竹座、京都四季劇場など)、「こけら落とし」に関われるチャンスというのはめったにありません。
ましてや自分達の劇場の、となるとなおさらです。
僕の場合は、「アートコンプレックス1928」が1999年、「ブラックチェンバー」が2004年、「パルティッタ」が2007年ですから、今のところ3回です。
とりわけ最初の「アートコンプレックス1928」は、思い出深いです。
どの興行で幕を開けるかは、劇場のベースになる「コンセプト」を公表するようなものですから、結構悩みました。
結果的に、コンプレックスなパフォーマンス集団「コンドルズ」に「こけら落とし」をお願いしましたが、この選択は正解だったなと思っています。
以来、「コンドルズ」は毎年12月に公演を続けてくれ、今年で10回目になります。まさに「アートコンプレックス」は「コンドルズ」と共に成長をしてきた感さえあります。
はたして、この先どれくらいの「こけら落とし」に関われるかは分かりませんが、「こけら落としを見ると長生きする」というジンクスもありますので、長生きしながら、できる限り多くの「こけら落とし」を見たい(手がけたい)と願っています。
小原啓渡
2008.05.31
経絡
「け」、「経絡」で。
東洋医学では、生命活動の源となるエネルギーを「気」と言い、「気」が流れるルートを「経絡」、この流れが滞ると色々な反応が現れる身体上のポイントを
「ツボ(経穴)」といいます。
ツボの数は361、経絡は一般的に「14経」あるとされてます。
この経絡は目に見えないもので、科学的にはまだその存在が証明されていませんが、「代替医療」という形で既に世界各国で用いられています。
僕は、基本的に「東洋医学」を肯定していますが、何故かというと、生物の成り立ちが「有機的」であるという事実からです。
つまり「人体」というのは、もともと一つの細胞が分裂を繰り返して生成されたもので、機械のように別々の部品を組み合わせて作られたものではありません。
この事を考えるだけでも、身体すべての部位が根本的に何らかの関係を持ちながら、つながっていることに納得がいきます。
もちろん、人体の部位を交換する「臓器移植」といった治療もありますが、適性の問題などもあり、ただ臓器を取り換えればそれでオーケーという単純なものではありません。
昨日のブログでも少し触れましたが、西洋医学が基本的に「対処療法」であるのに対し、東洋医学は「病気にならないための医学」だといえる部分にも共感できます。
「気」の流れが滞って「病」にならないように、「気」のバランスを保ち、生命が本来持っている「抵抗力」や「自然治癒力」を活性化させるという考え方は、
苦痛を最低限に留める生き方という意味においても大切なことだと思います。
小原啓渡
2008.05.30
苦痛
「く」、「苦痛」で。
「苦痛」とは、「苦しみ」と「痛み」という事ですが、この二つの違いを明確にしておくことは必要だと思います。
恋をした時など「胸が痛い」などという言い方をしますが、実際には肺や心臓が痛いわけではなく、比喩的な言い方ですね。
また、肉体的な「痛み」が、精神的な「苦しみ」を誘発する点において、両者の境界が曖昧になる部分はありますが、「苦しみ」は主に精神的、「痛み」は肉体的なものだと言えるでしょう。
どちらも、生命体を維持する上で重要な「アラーム」の役割を担っていますが、この警報が出る前にやれる事はたくさんあると思います。
肉体的な「痛み」の場合は、病気や怪我をしなければ基本的に避けられるわけで、精神的な「苦しみ」も物事の捉え方によってかなり回避できると僕は思っています。
「苦痛」を喜ぶ人は基本的にいないと思いますし、できれば、耐えがたい「苦痛」など経験したくないと誰もが思っているはずなのですが、
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と言われるように、人は「苦痛」をすぐに忘れる傾向があって、同じことを繰り返す場合が多いですね。
日々「苦痛」なく生きていくためには、やはり「健康」に留意して、何事も良いように考える「楽観思考」を習慣づける以外にない気がします。
小原啓渡
2008.05.29
木
「き」、「木」で。
生物の中で、「木」より長生きをする生き物ってあるのでしょうか?
樹齢世界一はカリフォルニアにある、4730年余の「木」らしく、日本国内にも樹齢1000年を超える木はかなりの数が残っているようです。
(山梨県には樹齢2000年の桜があるそうです)
人間がどんなに長生きしてもせいぜい120年くらいと考えると、単純にすごいなと思ってしまいます。
僕が通っていた小学校のグランドにも樹齢150年は下らないだろう、巨大なイチョウの木がありました。
グランドのほぼど真ん中にあって、木造2階建て校舎のどの教室からも、そのイチョウの木が見えました。
イチョウの木は、春に新芽を出し、夏に緑の葉を広げ、秋に黄色く染まり、冬に落葉する、まさに、日本の四季を視覚を通して知らしめてくれる素晴らしい「木」です。
その木が、僕の在学中に切り倒されてしまいました。
おそらく、グランドの中央にあって邪魔だとか、子供が木から落ちて危ないだとか、落ち葉の清掃が大変だとか、そんな理由からだったと思うのですが、子供ながらに随分ショックだったことを憶えています。
小学校の記憶で残っているイメージには、どれもこのイチョウの木が入っていることを考えると、よほど強いインパクトがあったのだと思います。
そんな素晴らしく貴重な「木」を切った当時の関係者を、本当に情けなく、残念に思うだけでなく、怒りさえ感じます。
そして、今この瞬間も世界各国で多くの木々が伐採され続けている事実にも、やり場のない悲しみを覚えます。
たとえ、生活に不自由しても、
「木を守るために、みなさん我慢して下さい」と言われれば、多くの人が納得するのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
少なくとも僕は、実際に不自由をしても「木を切らないで欲しい」と心から思っています。
小原啓渡
2008.05.28
形見
「か」、「形見」で。
僕の育ての親(血のつながりはない)が生前に僕に譲ってくれた「形見」が、なんと本物の「脇差」でした。
当時、刀は完全に錆びついていて、どう見ても価値のあるものには見えませんでした。
「銃刀法」により免許のない者が所持することができなかったのと、実の父親が刀のコレクターなので、今は父が保管していますが、この刀、とんでもない名刀だったんです。
僕の田舎は昔、刀に使われた鋼(はがね)の元になる砂鉄がよくとれた所で、(その製鉄法を「たたら」というのですが)、砂鉄から鉄を作る町として、国領地になっていたそうです。
(現在では「たたらの里」として、遺跡や資料館なども整備されています)
そんなこともあって、父が刀をコレクションし始めたのではないかと思いますが、そのコレクターの父も、当時はその錆びた脇差が価値のあるものとは気づいておらず、育ての親が亡くなってしばらくしてから、その追悼の意味も含めて「研ぎ」に出したところ、その錆びた刀がとんでもない名刀であることがわかったそうです。
それから、色々調べてその刀が四国の大名が所持していたものらしいということがわかり、僕の育ての親の素性が明らかになったのでした。
確かに出身は四国だというようなことは言っていたようですが、うちの田舎に水力発電所ができたときにその技術者として越してきて以来、この町に住みついた夫婦というくらいしか、周りの人は知らなかったらしい。
子供もいなくて、あまり社交的な人でもなかったので、まさか大名の末裔などとは誰も知らず、夫婦共々亡くなってしまってから、判明したことでした。
僕に残してくれたその「形見」は、今は手元に置いておくことができませんが、我が家の宝として、代々受け継いでいきたいと思っています。
小原啓渡