小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.05.27
女形
「お」、「女形」で。
「女形」は、「おやま」あるいは「おんながた」と呼びます。
近年、歌舞伎の世界では、玉三郎さんが一躍人気になって、「女形」という言葉も一般化したように思います。
以前少し書いたかと思いますが、当社は松竹との契約で、歌舞伎における「鳥屋口」(主に花道にある揚幕を開閉する仕事)を請け負っています。(役者さんとの直のやり取りで「きっかけ」を決める数少ない仕事です)
そもそも僕が個人的に任されていた仕事を、後に会社で請け負うようになったのですが、とにかく役者さんを間近で見る機会が多い仕事です。
もちろん、玉三郎さんをはじめ「女形」も至近距離で見ることができるのですが、はっきりいって二通りですね。
男とわかっていながら「ドキドキ」するほど美しい「女形」と、ちょっと近くで見るのは「キビシイ」お年を召した「女形」です。
前者は玉三郎さん、笑也さん、福助さんなど、後者は晩年の梅幸さんや歌右衛門さん、現役では芝翫さんや秀太郎さんなどということになりますが、僕は後者の方々の方により魅かれてしまいます。
一見(特に至近距離では)美しいとは言い難い、年かさの「女形」ですが、芝居が進んで行くにつれて、だんだん本当の若い娘に見えてきたり、女性の怨念のようなものが滲み出てきたり、とにかく「芸」の深さに驚嘆してしまいます。
長い年月、鍛え上げられた「芸」は、「おじさん(おじいさん)」を「絶世の美女」に見せてしまえる力をもっているんですね。
若手の「女形」が、今後20年30年経って、どんな素晴らしい「芸」を更に身につけていくのか、歌舞伎を楽しむ上で、外せないポイントの一つだと思います。
小原啓渡
2008.05.26
演劇
「え」、「演劇」で。
「演劇」となると、やはり「シェークスピア」のことを書かないと、本質的な話にはならないような気がします。
僕は権威主義者でも、保守的な人間でもなく、それどころかかなり前衛的な方だと自分では思っていますが、「シェークスピア」に関しては、古いも新しいもない、というのが正直な気持ちです。
彼が書き遺した作品は、既に400年ほどの年月を経ていますが、「本物」と言われるものが押し並べてそうであるように、「古さ」というものを全く感じさせません。
理由はやはり、「普遍的な本質」を捉えているからだと思います。
時代や国や民族など、あらゆる違いを超越した「普遍性」において、シェークスピアの作品にあるのは、悲劇であれ喜劇であれ、「人間の本質」なのだろうと思います。
人間なら誰しもが抱く「感情」、そして、その感情によって動く「行動」。
付随するあらゆる要素をそぎ落とした「人間の本質」を見事に抽出し、作品に注入した、まさに「天才」であったと思います。
だからこそ、何百年も前の時代に生きた登場人物に、現代の観客がなんの抵抗もなく「感情移入」し、芝居の世界に入っていけるのだと思います。
「演劇」というタイトルなのに、「シェークスピア」のことばかりになってしまいました。
それなら、「し」の時に書けよ、と思われた方、
もっともだと思います。
「招かれないのに来た客は、帰る時にいちばん歓迎される」
(ヘンリー六世より)
小原啓渡
2008.05.25
売り
「う」、「売り」で。
「私の売りは・・」という場合、「私のチャームポイントは・・」というより、「私のセールスポイントは・・」ということになりますよね。
「あなたにとって、自分の売りは何ですか?」
僕がスタッフの面接をする時などによくする質問ですが、簡単そうで意外に難しいと思います。
(すぐに答えられますか?)
「あなたの特技は何ですか?」よりも確実に難解だと思います。
というのは、「売り」には「買い手」が存在し、しかも買ってほしい相手は、時と場合によって異なるからです。
「特技」は具体的ですが、「売り」は抽象的な答えになる場合が多いというのも、より難解になる要因ですね。
一度みなさんも、色々な場合を想定して、自分の「売り」は何なのかを考えてみると面白いと思いますし、実のところ、とても重要なことだと思います。
小原啓渡
2008.05.24
イチジク
「い」、「イチジク」で。
数年前、父方の祖父の具合がかなり悪いという知らせが入り、勢い込んで田舎の病院に行った時の話です。
僕が病室を訪ねると、もう危ないと聞いていた祖父が一人、ベッドに鎮座しており、瀕死の状態を想像していた僕は一瞬たじろいでしまいました。
しばらく当たり障りのない近況報告をして、その居心地の悪さを紛らしましたが、すぐに話も尽き、まだ元気そうで大丈夫と判断して早々に帰りかけたとき、祖父が何の脈絡もなく、
「イチジクを漢字で書けるか?」と、唐突に僕を引きとめました。
何となく、三つの漢字で・・「えっと・・・、あれっ、思い出せへん・・」と答えると、
「無花果、花の無い果実と書くんや・・・、けどな、外からは見えへんけど、
ほんまは、実の中にぎょうさん花を咲かせとる・・・・」
「あっ、そうやった、・・・・けど、なんで?」
「・・・・・・・」
結局、祖父はその問いには答えず、それから数日後に容態が急変して、帰らぬ人になりました。(臨終には立ち会えませんでした)
そして、これが、僕が祖父と交わした最後の会話になりました。
おそらく、自分の死期を悟っていただろう祖父が、あの時、
何を考え、何を思い、何を伝えたかったのか・・・・僕には分かりません。
自らの人生を「無花果」に例えたかったのか、
僕に対する何らかのメッセージだったのか、
今なお、心の底に、残ったままです・・・。
小原啓渡
2008.05.23
遊び
「あ!」今日から、このベタなブログ、4周目に入ります。
「遊び」で。
人それぞれ解釈は異なると思いますが、僕にとって「遊び」とは、
「自ら、喜び(楽しみ)に入っていく行為」です。
以前「喜び」に関して書きましたが、何を喜びと感じるかも人それぞれで、
例えば「人を喜ばせることが喜び」の人は、そのために行うことは、僕の解釈からすると全て「遊び」である、という事になります。
それでは、僕の「喜び」はというと、(かなり極端な話になりますが)
苦しみや、怒りや、悲しみなども含めて、まさに「生きる」ことです。
(喜びに転換できる程度の苦痛しか味わったことがないからそう言えるのかもしれませんが・・・)
実際、生きている(生かされている)ことに、喜びを感じています。(感じようとしています、と言った方が正確かもしれません・・・)
つまり僕にとっては、生きることが「遊び」ということになりますし、喜びを感じるために仕事をしているので、仕事も「遊び」です。
「子供は遊びの中で学ぶ」と言われますが、楽しむために学べば、「勉強」も「遊び」になり得るということですね。
どんなに大変なことも、「自分の喜びのため」と意識的に思うことで、その苦痛は随分違った性質のものに変わっていくと思います。
「遊びをせんとや生まれけむ」という有名なフレーズは、
「梁塵秘抄」の中にある、無心に遊んでいる子供を題材にした歌の一部ですが、
願わくば、すべての人がこう思える世の中になればいいなと思います。
さあ、このブログも4周目、心新たに「遊び」たいと思います。
小原啓渡
2008.05.22
わらしべ長者
「わ」、これで三周目が終了です。「わらしべ長者」で。
「わらしべ長者」は、最初「わら」を持っていた男が、「物々交換」を繰り返していくうちに、最後には屋敷を手にいれるという有名な日本のおとぎ話のひとつですが、「需要と供給」「価値観」「経済」といったことを考える上で、面白い話だと思います。
お金という共通の価値基準が存在しなかった時代、
経済活動の基本は「物々交換」であり、「欲しいもの・必要なもの」に対する欲求の高さ(需要)がものの価値を決定していました。
例えば、飢餓状態にある人間にとっては、1カラットのダイアモンドよりも、一切れのパンの価値の方が高かったわけです。
これって、僕には至極当然のことに思えるのですが、現在の経済活動においては、それらがほぼ全てお金に換算されてしまいます。
「お金で買えないものはないのか?」という拝金主義的な議論が持ち上がるのも、この辺りに根源があるように思います。
詰まるところ、「買えるか、買えないか」ではなく、「満足できるか、できないか」、ここがポイントだと僕は思うのですが・・・。
ただ、この部分を突き詰めようとすると、(以前「知足」ということに関して書きましたが)、人は何によって、どの時点で「満足」を感じるのかという、「欲望」という概念も含めた、哲学的な論点に行きついてしまいます。
何が言いたいのかというと、
お互いの「満足度」という観点から見ると、「物々交換」は非常に明快なシステムですが、「わらしべ長者」は、すでにお金という価値基準が存在した時代の話です。
「お金」というものがあるのに、なぜ「物々交換」をしたのかという疑問も含めて、タイトルに「長者」(お金の価値)という言葉がある以上、この話は根本的な価値基準において、大きな矛盾を含んでいると思うわけです。
小原啓渡
2008.05.21
ロボット
「ろ」、「ロボット」で。
以前、田舎の母親が「ロボット人形」を可愛がっている話を少し書きましたが、今や産業だけでなく人々の生活の中に、ロボットが入り込んできているのを実感します。
最近よく見かけるのが、おもちゃ系のペットやお掃除ロボット等で、いかにも平和なイメージがありますが、一皮むくと「無人兵器」など軍事用に開発されているロボットの側面が見えてきます。
これらの最先端技術の膨大な開発費がどこから出ているのか、詳しいことはわかりませんが、コンピューター技術が急速に進んだ背景に「軍事目的」があることを考えると、何とも複雑な気がします。
一般的な産業ロボットに関しても、確かに効率性と採算性などにおいて大きな効果を上げていることは確かですが、それによって人的な労働力がカットされてきたことも事実で、さらにロボット化が進めば、その傾向はさらに拡大するのではないかと思います。
もちろん、先進国においては「人口減少」の問題などもありますし、効率性だけでなく精密さや安全性なども考えると、ロボットの更なる社会進出は食い止めようがないのかもしれません。
実際、僕自身コンピューターの恩恵を受けながら日々生活してますし、母は「ロボット人形」に癒されているわけですから、本当に複雑な心境に陥ってしまいます。
まさに、蟻地獄です。
小原啓渡
2008.05.20
礼儀
「れ」、昨日書いた内容に関連して、「礼儀」で。
海外では、ほとんどお互いをファーストネームで呼びますよね。
相手が年上だろうが、上司であろうが、著名人であろうが関係ない。
良い悪いは別として、日本の「礼儀」の根本は、日本語の特異性(例えば敬語など)にあるような気がします。
ちょっと想像してみて欲しいのですが、もし会社でお互いを全てファーストネームで呼び合ったら・・・
呼び方一つですが、とんでもない変化が組織に、人間関係に起ると思いませんか?
このアイディアは、ある新聞社の部長が、お酒の席で冗談ぽく言われたことなのですが、もしもこうした「ファーストネーム運動」のようなものが日本で広まったら、すごく面白いことになるのではないかと思うわけです。
しかし元来、「礼儀」といのは、マナーとかエチケットとは違い、「人として行うべき礼の道」つまり儀式的な意味合いを持った「道」(どう)の世界であって、これは一つの日本の伝統的な文化でもあるわけですから、その辺はそういうものだという認識が必要かと思います。
ただ、「武士道」といったイデオロギーが日本から消滅しつつある今、この部分(形)にばかり捉われていては、国際社会の中で立ち遅れていく可能性もあるわけです。
それでは、国際社会における礼儀とは何かを考えた場合、それは「形式」ではなく、やはり他人に対する「心配り・気遣い」なのだと思います。
伝えやすい「形」から帰納法的に導き出す「本質」という考え方もありますし、「形」だけでも、何も無いよりはマシということも言えると思いますが、
「形」が「形骸」的な扱いになったとき、本質的な「礼儀」が消滅してしまう危険性があることも忘れてはならないと思います。
小原啓渡
2008.05.19
ルーズ
今日は「る」、時間がタイトなので、短く「ルーズ」に。
「ルーズ」とは一般的に「いい加減、だらしない様」を言いますが、これって持って生まれた性格というより、子ども時代に親などから受けた「躾」と親の生活習慣(態度)の影響が強いような気がします。
自分の子供を見ていて、そう思うのですが、僕自身は子供に対して躾らしい躾をした覚えがほとんどありません。
(もちろん奥さんの方はやっていたと思いますが・・・)
僕が唯一、厳しく言っていたのは、「挨拶」くらいだと思います。
そのせいか、挨拶だけはきっちりとするようになっていますが、その他は一般的な現代っ子並みに「ルーズ」な気がします。
ただ、子供というのは意外に親をしっかり観察していて、それを基準にして真似るところがあるので、結局のところ僕が「ルーズ」だということになるのでしょうが、家にいる時の父親というのは、概してダラけていて(休息を取っていると僕は思うのですが・・・)、それを真似られても困りますよね。
なんだか、言い訳っぽくなってしまいましたが、いつもルーズでは困るし、几帳面過ぎても困りますから、やはり「緩急」のバランス、「良い加減」が大切なのだと思います。
小原啓渡
2008.05.18
臨界
「り」、「臨界」で。
「りんかい」というと「臨海」を思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、
今回はあまり一般的に使われることのない言葉,、「臨界」。
簡単にいうと、液体を沸騰させた場合、徐々に温度が上がり、気体になる瞬間、その境目等を「臨界点」というのですが、哲学的に解釈するなら、
ある現象がエネルギーを徐々に蓄積していき、その限界点で別の性質をもった現象に変化するその境目とでも言えばよいでしょうか。
一種の爆発的変化を来たすその境界だと言えるかもしれません。
例えば「流行」という社会現象を見た場合、初期には緩やかな増加しか見せなかったものが、ある時点でそのカーブが急激に上昇して、爆発的に普及するということがよくありますよね。
何が言いたいのかというと、現象(特に意識に関わる社会現象)というのは、現状になるのに10年かかったから、現状の2倍になるのにあと10年かかる、といった正比例の変化ではなく、一挙に、爆発的に急激な変化を起こす「臨界点」を持ったものが多いということです。
C.C.O(名村造船所跡地)で最初に行ったイベント(ナムラ・アート・ミーティング)のタイトルは「臨界の芸術論」というものでした。
「アートが持つ力」は、現状まだ一般的に認識されていはいないと思いますが、いつか日本においても急激にその価値と理解が高まる時期(臨界点)がやってくるのではないか、そしてその臨界点は近いのではないか、というのが一つのテーマでした。
環境問題に対する意識などにおいても、一挙に全世界的な意識変革が起こる可能性もあるわけです。
もちろん、感染症の流行における「感染爆発」のように、この「臨界点」が負の現象として現れる場合もありますが、
「このままの率で推移すれば、あと何年で・・・」という話を耳にするにつけ、
私たちはこの「臨界点」の到来に、幽かな望みをつなぐしかないのかもしれません。
小原啓渡