小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.05.07
誇り
「ほ」、「誇り」で。
最近では、「誇り」より「プライド」という方が一般的ですね。
「プライドが傷ついた」などと言いますが、そのプライドって何?となると、かなり曖昧で、「自尊心」とは言えても、「自尊心」って何?となると、
また考え込んでしまうというのが実際のところでしょう。
僕が考える「プライド」とは、一種の「こだわり」ですね。
(僕の「こだわり」に関しては、「愚直」というタイトルで以前書いています)
あるいは、「自らの価値観に基づいた思い込み」とは言いすぎでしょうか?
といっても、「プライド」に対して否定的なわけではなく、
「生きる上での拠り所」「アイデンティティー」という意味では、むしろ肯定的です。
ただ、自らのアイデンティティーを何に求めるかは問題だと思います。
人に何かを言われたり、されて傷つくような「プライド」(アイデンティティー)なら、とっとと捨て去るべきで、そんな「こだわり」は、やはり単なる思い込みのような気がします。
外部からの刺激で「ムカッ」とすることは普通にあるとしても、そんな感情に捉われて、自分のくだらない思い込みをより強固にするのは得策ではないと思います。
「誇り」とは、もっと重厚で深く静かなものなのではないでしょうか?
例えば、「命を授けられたものとしての誇り」であるとか、
「かけがえのない宇宙の一部としての誇り」とか・・・・
ちょっとした勝ち負けや優劣に関わる「自尊心」など、まずは取るに足らないものだと考えることが大切な気がします。
(それを大げさにプライドなどと言わない)
「内に収縮するアイデンティティーではなく、外に開いた、外とつながるアイデンティティー」
「一生命体、人類としての誇り」
そういったスケールで「プライド」を持てればいいなと思います。
小原啓渡
2008.05.06
へ
「へ」、「へ」で。
「へ」は「おなら」の「へ」です。
中学三年の時の話。
楽しみにしていた修学旅行の前日、急にお腹が痛くなり、病院に行くと「盲腸炎」と診断されて、すぐに手術、入院という事態になりました。
(もちろん、修学旅行には行けませんでした)
経験された方はご存知だと思いますが、手術後、看護婦さんが、
「ガス出ましたか?」と聞いてきます。
何のことか分からず、「ガスって何ですか?」と聞き返えすと、
その見習いっぽい看護婦さん、一瞬恥ずかしそうな顔をして、
小さな声で、「へ?」と答えました。
その時の看護婦さんがなんとも可愛くて(もちろん年上でしたが)、
とっても好きになり、就学旅行に行けなかった最低の入院が、
一転して、楽しいものになりました。
いやぁ、つまらない話ですね。
小原啓渡
2008.05.05
不満
「ふ」、「不満」で。
今一番「不満」に思っていることって何だろうと考えました。
よくよく考えてみると、何かにつけ「不満」を持ってしまう自分に、最も「不満」を感じていることが分かりました。
京都、竜安寺の手水鉢(ちょうずばち)に「吾唯知足」(吾は唯、足るを知る)
という禅の言葉が刻まれています。
外国から来たゲストの京都案内には、必ず竜安寺をそのコースに入れ、
この手水鉢の前で禅に関する説明をするようにしているので、自分にはかなり馴染みの深いことばです。
とても好きな言葉ですし、人間にとって重要な意味があることも理解していますが、理解しているからといって自分がそうであるかどうかは残念ながら別の話です。
「不満」があるから、「成長」がある、ということもあると思うので、「知足」とは、主に即物的なものに対する欲望に対してのことではないかと思います。
精神的に未熟な自分に満足していては「成長」はありません。
「禅」においては、相反する要素を併せ持つ真理(例えば陰陽など)が多いことを考えると、言葉どおり単純に解釈するのは片手落ちの危険性があると思います。
単に「満足しないこと」を否定しているのでなく、
禅問答的に言うなら、「不満を持ちながら、満足しなさい」というようなニュアンスもあるでしょうし、
本質的には、「不満」に振り回されるのではなく「不満」をコントロールすることの大切さを説いているのかもしれません。
小原啓渡
2008.05.04
品格
「ひ」、「品格」で。
「女性の品格」「国家の品格」など、今「品格」をテーマにした書籍が売れていますね。
つまり、それほど現代日本は「品格」が無くなっているということなんでしょうか。
「品格」とは、気高さや上品さのこととされますが、
具体的にはどういった行為にその資質が現れるのだろうと考えてみると、
「立ち居振る舞いや言葉使い」というより、
僕は、「お金の使い方」に最もその性質が現れるような気がします。
例えば人の場合、お金持ちかどうかに関わらず、自分のお金をどういった対象に、どれくらいの率で使うのか。
ありったけのお金をブランド品につぎ込む人もいれば、ギャンブルやお酒につぎ込む人もいる。
衣服や持ち物は節約しても書物や芸術に使う人もいるし、その額は少なくても寄付をしたり、人を喜ばせるために使う人もいる。
お金の使い方は全く個人の自由ですし、価値観として「品格」なんてどうでもいいと思っている人も多いと思います。
ただ、僕が「品格」を感じる人というのは、物質的なものばかりでなく、文化的なものや社会的な貢献にもお金を使う人ですね。
国家の場合も同じで、経済的なものばかりに予算をつけて、文化や芸術には少ししかお金を使わない国に「品格のある国」なんてあるのでしょうか?
目先の売り上げだけに翻弄し、社会貢献を忘れた企業に「品格」などあるのでしょうか?
もし「品格」ということを求めるなら、国も企業も人も、
「どう稼ぐかではなく、どう使うか」をもっと考えてみる必要があると思います。
小原啓渡
2008.05.03
洟(はな)
「は」、「洟」(はな)で。
実は「華」(はな)について書こうとして、パソコンの文字変換で「洟」が出てしまい、ついつい昔を思い出して、「洟」にしました。
昔を思い出したといっても、何か面白い話があるわけではなく、ただ僕が子供のころは決まってクラスに2,3人「洟たれ小僧」がいたなぁというそれだけのことです。
夏でも「青っ洟」を垂らしていて、ちり紙も当時高級品だったので(便所の紙も新聞紙を切ったもので、手でくしゃくしゃにして柔らかくしてから使っていた)制服の袖で拭くものだからいつもそこがテカテカしていましたね。
実際のところ「洟たれ小僧」は「蓄膿症」に罹っている子供だったのだと思いますが、現代では冬に風邪をひいて「鼻水」を流している子供をまれに見るくらいで、昔いた本格的な「洟たれ小僧」を見かけることがありません。
最近、街で見かける子供(小学生くらい)が、子供らしくないというか、こまっしゃくれているというか、大人びているというか、そんなことをよく思うので、「洟たれ小僧」が妙に懐かしくなったのかもしれません。
(洟を垂らしていたら、子供らしいというわけでもないのですが・・・)
「華がある」ということを書こうとしたのに、いやはや、
全く「華のない」話になってしまいました。
小原啓渡
2008.05.02
能力
今日はスケジュールがかなりタイトなので、短く、
「の」、「能力」で。
色々な「能力」がある中で、「IQ」(知能指数)などは高いに越したことはないというだけで、僕はさほど重要だとは思っていません。
それより、今ちまたで「KY」(空気が読めない)という言葉がはやっていますが、逆に「空気が読める」といった能力などの方がずっと貴重な気がします。
そして僕が最も高く、重要な能力だと思っているのが、「信じる力」です。
疑うことからではなく、「信じる」ことから始める。
この人は、と見極めたら、何があろうが、誰が何と言おうが、その人の根本を「信じる」。
そして、自分の可能性と自分の能力を信じる「能力」です。
この能力を身につけることが人間にとって最も重要だと思う大きな理由は、
その先にある究極の命題、
「愛するということ」に、なくてはならない「能力」だと思うからです。
小原啓渡
2008.05.01
ネクタイ
「ね」、「ネクタイ」で。
「ネクタイ」とスーツほど世界的に正装のパターンとして一般化しているファッションはないと思うのですが、
起源を調べてみると諸説が入り乱れて、かなりあいまいなのが意外でした。
何となく世界に広まって、何となく、スーツを着てネクタイをしていないとビジネスマンじゃない的な基準が出来上がっていったんでしょうか。
今の時期、新入社員とすぐに分かる一団を見かけることがありますが、
もういい加減、根拠のないネクタイ信仰?から自由になってもいいのではないかと思います。
ファッションの嗜好としてスーツとネクタイを選ぶのは自由ですが、
蒸し暑い日本の夏にわざわざ襟巻(ネクタイ)をしなくてもいいだろうと前々から思っていたので、「クールビズ」の広がりは至極まっとうな気がします。
ちなみに僕は、首回りが窮屈なのと、何となく首輪を着けられた犬のように見えるのが嫌で、余程のことが無い限り、ネクタイはしません。
実際のところ、まともにネクタイが結べないのです。
小原啓渡
2008.04.30
ぬるい
東京からの帰り、新幹線の中です。
すべての窓際席の足もとに電源があり、いつの間にか喫煙ルームなるものも出来ていました。
今日は「ぬ」、名詞でピンとくるものがないので、形容詞「ぬるい」で。
今回の出張は、ある上場企業の会長にお会いするのが主な目的でした。
別荘に来ないかと誘われて、こんな機会はめったにないと、他の予定を変更してお言葉に甘えました。
丸一日、色々お話を伺った会長の言葉は、どれもこれもズバリ核心、本質を突いていて怖いくらいでした。
半分は自分でも気づいていながら、確信が持てず、進んで改善することをしていなかった考え方や行動の「ぬるさ」をキッパリと指摘されました。
正直、日頃は人に対して「ぬるさ」を感じることの方が多いのですが、今回は全く逆でした。
ある程度の歳になると、自分の問題点に対してアドバイスをしてくれる人が、どうしても少なくなってくるだけに、
自分の「ぬるさ」を知らしめてくれる人というのは有り難く、貴重だなとつくづく感じた次第です。
僕が実際に会って憧れを感じた人は、今まで、ほとんど外国人だったのですが、今回お会いした会長にはすっかり心を奪われてしまいました。
エネルギーの「入れどころと、抜きどころ」の絶妙なバランス、細かい心遣いと豪胆な哲学・・・、
こういう方が日本におられるという事実だけで、自分も日本人として頑張っていけそうな気がします。
小原啓渡
2008.04.29
日報
本日も出張中なので、短く。
「に」、「日報」で。
一緒に働いているスタッフに、特定の作業(仕事)をなるべく強制したくないと思っていますが、日常業務の中で必ずやってくれるように言っているのが「日報」です。
あらかじめフォーマット化しているいくつかの事項に関して、その日の仕事において全スタッフに伝えておくべきだと思うことを各自が携帯のML(メーリングリスト)に流す、という方法です。
うちの場合、仕事場がいくつかに分かれているために、各現場で起こったこと(トラブルなど)や引き継ぐべき作業などの情報が共有しにくいという事情があって始めたものですが、今では無くてはならない必須のシステムに定着しています。
すべてのスタッフが、すべての現場で起こった事項を共有できるだけでなく、自由筆記の欄などでスタッフ間のコミュニケーションが促進されています。
もちろん、僕にとっても重要であるのは、どこにいても全ての現場の状況が把握できるのはもちろん、スタッフ一人一人の心や体の状態が毎日微妙に伝わってきて、スタッフに対する早めのケアが可能になるということがあります。
毎日注意深く日報を読んでいると、アップされる情報の量やポイントの捉え方、ちょっとした文章の言い回しなどから、各スタッフのモチベーションや精神状態がよく分かります。
ただ重要なのは、そこから得られる情報に僕だけでなくスタッフ全員がどう反応し、対処していくかという事だと思います。
情報をただの情報として放置していたのでは意味がありませんね。
当初は義務としてやっていた感がありましたが、最近では、かなり前向きにスタッフの理解が深まっているように思います。
小原啓渡
2008.04.28
泣き
東京に出張中なので、短く、「な」ですね、「泣き」で。
「泣き」って「泣きを入れる」なんてのもありますから、一応名詞ですよね。
僕にとって「泣き」は「ブルース」のことなんです。
学生時代、4畳半のぼろアパートを借りていたんですが、隣の部屋に一学年上のマッパさんという人が住んでいました。
四六時中、大音量でブルースのレコード(当時CDなんてなかった)をかけていて、音が筒抜けで、入居した当初は「えらいとこに入ってしまった」と随分後悔したものです。
しばらくして、たまりかねて廊下で会った折に挨拶かたがた、音の苦情をやんわり言うと、
「あのな、ブルースは泣きや、わかるか、泣きなんや」と言われました。
それから、会うたびに音のことを言うのですが、
「あのな、何回も言うてるやろ、ブルースはな、泣きや、泣きなんや」
「泣きやからお前も泣け」とでも言いたいのか、帰ってくる言葉はいつもそれ。
次第に僕も諦めて、耳栓を買って、音のことを言わなくなると、妙に仲良くなりました。
徐々に僕もブルースが好きになって、いつからかマッパさんが働いているジャズクラブで僕もバイトするようになっていました。
「ブルースはな、泣きや、泣きなんや」
あれから30年ほど経ちましたが、その「泣き」を必ず2回繰り返す言い方が印象的で忘れることができません。
今、マッパさんは年商5億の会社の社長で、僕はその会社の取締役を兼任しています。
小原啓渡