小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.02.09
グルメ
「く」、あえて、「グルメ」でいきましょう。
「グルメ」を、「食通」とか「美食家」だとすると、僕は「ファー・フロム・グルメ」
食通とは程遠いですね。
事務所で誰かが「UFO」とか食べだすと、もうダメです。
あのニオイは罪です!
仕事もほどほどにコンビニに走ったりします。
僕くらいの歳になると、おいしくてイケてるお店の一つや二つ、知ってて当然と思われるようですが、これもダメ。
たまに「ここ、めちゃ、ウマい!」って店に連れてってもらっても、まず、場所や名前を覚えられないし、調べてまでもう一度行こうという気持ちにもならない。
「食」は大切な文化だと思うし、「味」に無頓着なわけでもない。
料理人の「技」とか、「食材」などにも興味はあります。
ただ、基本的に、
めちゃくちゃお腹がすいてりゃ、なんでもウマい!
その時に食べるものが、よりおいしいものなら、なおさらいい!
って感じで、結局のところ、食べることに対する情熱が今はないんだろうと思います。
仕事をしていて、ふと気付くと、朝から何も食べてないってこともよくありますし、実際のところ食べる量も少ないですね。
日本でならあまり言われませんが海外に出ると、西欧人と比較して食べる量の差は歴然で、
ずっと一緒に公演ツアーをしていた振付家(アメリカ人女性)は僕のことを、
「ケイトは、小鳥のようだ」
と言っていました。
「いやぁ?、それほどでもぉ?(なぜか照れてる)」っていうか、「座布団1枚!」っていうか、
さすがにアーティスト!
ウマい!表現をしますよね。
小原啓渡
2008.02.08
キス
「き」、ちょっと照れますが「キス」で。
「キス」といっても、ヨーロッパなどで挨拶として頬などにする「キス」ではなく、いわゆる「接吻」に関してですが、僕なりの解釈?があるので、それを少し。
昔「間接キス」っていうのがありましたね。(今でもあるか?)
女子が飲んだコップなどを男子が使ったときに、
「わーぃ!間接キッスしよったぁ?!」ていう、あれです。
これって、要は「唾液」に関係しているんじゃないでしょうか。
例えば、同じお箸を使うとか、歯ブラシを使うとかと同じです。
唾液っていうのは「内」なるもので、握手などの時に接触する皮膚、つまり「外」(露出されているもの)との接触より意味が深くなります。
こう考えると「口(くち)」は、外と中の境界だと言えますよね。
これは、セックスも同じ考え方ができると思いますが、外から内、より親密な接触の意味を持ちます。
まあ、このあたりの話は、よくあると思うのですが、僕はもう一つ大きな意味があるのではないかと思っています。
「沈黙の共有」です。
くちは、内と外の境界であると同時に、言葉を発する器官です。
人はコミュニケーションのほとんどを言葉に依っていますが、もう一段親密なコミュニケーション手段として「身体」があります。(セックスも身体を介した一つのコミュニケーション手段ですよね)
接吻は、「くちを塞ぐ」行為、言い換えると「言葉のコミュニケーションを遮断する」行為だとも言えます。
つまり、「ことばによるコミュニケーション」から「身体によるコミュニケーション」への境界でもあるわけです。
そして、その境界線に「沈黙」がある。
「キスとは、沈黙の共有である」
なんて、ちょっとキザですが、素敵な感じがしませんか?
小原啓渡
2008.02.07
感情
「か」、ちょっと難解ですが、今回は「感情」
僕は学者ではないし、アートに関すること以外は専門家でもないので、学術的に間違ったことを書いてしまう場合もあるかと思いますが(このブログ全般を通して)あくまで、個人的な解釈および考えとして受け取ってもらえるとありがたいです。
と、一応断っておいて、「感情」ですね。
基本的に、様々な「感情」は、無意識に起こってきます。
もちろん、俳優が感情移入によって、涙を流すことができるように、誰しもある程度は、意識的に怒ったり、笑ったりすることは可能ですが、多くの場合、出来事に対する「反応」として、まず、瞬間的な「感情」があり、次に「思考」、「行為」へとつながっていくのが一般的だと思います。
実際は、「感情」から「思考」をすっ飛ばして「行為」に及ぶ場合(キレた?)もありますし、身体反応(反射神経?)として「出来事」から「行為」が直接引き出される場合もありますが、通常は「出来事」?「感情」?「思考」?「行為」という流れを踏むと思います。
概して、感情が起こったとき、人はその感情を引き起こした出来事もしくは対象に意識を向けます。(自分にではなく・・・)
例えば、人から何かを言われて気分を害した時、その言葉、もしくはその言葉を発した人物に意識を奪われ、その対象物のことを考えます。
「ほんとは、どういう意味なんだろう?」
「なんであんなこと言うんだろう?」
「あの人は僕を嫌っているんだろうか?」などなど・・・
そして、しばらくたって、自分に意識が戻ってきます。
「自分にもいけないところがあったのかもしれない」
「自分の態度が原因かもしれない」
「これから、どうしよう」などなど・・・
僕の場合も、多かれ少なかれこんな感じですが、少しづつ変わってきていることがあります。
それは、感情が芽生えた瞬間に、対象物にではなく、自分に、あるいは「感情」自体に意識を向けるという反応です。
まず、湧き起った感情を、ただ眺めます。
「眺める」というのは、感情を言葉にしない、カテゴライズしない状態です。
言葉にしない、カテゴライズしないというのは、例えば、「怒り」であるとか「嫉妬」であるとか、「恋」であるとか、「同情」などといった一般概念の枠にはめない、ということです。
分類できない「ただ一つのもの」としてその感情を見るということです。
そして、意識と興味を対象物にではなく、自分に向けて「思考」します。
「この感情と似た感情を以前に味わったことがなかっただろうか?」
「なぜこんな感情が芽生えるのだろうか?」
「こういう感情を持つ自分がどうして創られたのだろうか?」などなど・・・
つまり、僕にとって自然に湧き上がってくる「感情」は、自分を知るための非常に有効な糸口であるということです。
こういうと、とても「分別のある、冷静な人」と思われるかもしれませんが、時には、感情から行為へ一直線の場合もありますし、対象にばかり気を取られてしまうことも往々にしてあります。
ただ、そういった場合でも、必ず「自分を知るための大切なチャンス」として「感情」を振り返るようにしています。
そういった意味で、僕にとって、「美しい」とか「うれしい」とか「楽しい」といった感情も、
「きたない」とか「悲しい」とか「苦しい」といった感情も同じ価値を持つということになります。
そして、この「心の揺れ」「刺激」「感情の動き」こそが、僕にとっての「感動」です。
だからこそ、負の感情も含め、
こうした「感動」を与えてくれる全てのものに、同等に感謝できる人間でありたいと思っています。
すべては「自分とは何者なのか」を知るために。
小原啓渡
2008.02.06
おはぎ
「お」、「おはぎ」で。
「ぼたもち」は春に「牡丹餅」、秋に「御萩」と呼ばれ、実は同じものらしい。
牡丹の花、萩の花に由来があることも知りませんでした。
皆さんはご存知でしたか?
「甘いものはあまり食べません」と言いたいところですが、大好きです。
特に「おはぎ」は。
僕は、3歳の頃から小学校4年頃まで、家庭の事情ってやつで、血のつながりのない老夫婦にあずけられました。(二人は僕の前に一人養女を育てましたが、実の子供はいなかった)
毎月、養育費という形で両親から幾ばくかのお金が渡されていたらしいですが、基本的には現金収入のない家でしたので、生活は質素でした。
林業と農業が中心の田舎町で、当時どの家も家計が苦しかったのでしょう、子供時代には特に自分だけが貧しいという意識はなかったですね。
貧しい生活だったんだな、と自覚したのは、同じ年代の人たちと子供時代の話をするようになってからのことです。
何しろ、食事はお漬物と畑で取れた野菜の煮物ばかり、昼ごはんのおかずは梅干をつぶして、なぜかそれに砂糖を混ぜたもの、毎日それだけでした。
お肉を食べた記憶は無くて、カレーなんて、1ヶ月に1度あるかないかの超ご馳走でした。
そんな生活のなかで、僕の誕生日とか、入学や卒業など特別な日に、おばあちゃんが作ってくれる「おはぎ」のおいしさといったら、なかったですね。
台所には今はほとんど見る事がないカマドがあって、もち米と小豆(あずき)を蒸します。
いつも古い着物の上に割烹着、日本手ぬぐいを頭にかぶって狭い台所でおはぎを作るおばあちゃんを、土間からみていたのを思い出します。
薪がはじける音や煙の臭い、炊き上がったもち米から上がる白い湯気、鮮やかなあずきの色・・・・、おはぎが徐々にでき上がっていくのを見るのが楽しかった。
今でも「おはぎ」を見ると、働き者で優しかったおばあちゃんを思い出します。
僕が一年半ほど、インドを放浪している間に、おばあちゃんも、おじいちゃんも亡くなりました。
知ったのは帰国後でした。
全く実感が無いまま、幼少期を過ごした家を訪ねました。
空き家になって、がらんとした部屋の仏壇に、二人の写真が並んでいました。
小原啓渡
2008.02.05
番外
今年に入って2度目の番外。
日中が詰まっていて、夜しか書く時間がないときが危険。
今日は夕方からの会議の後、飲み会に流れる。
小原啓渡
2008.02.04
映画
「え」、「映画」で。
何年か前、「映画大好き宣言」という本に「あなたの好きな映画を3本挙げて、それぞれに感想を」という依頼がきて、書いた文章があります。
おそらく、締め切り間際、字数制限もあり、苦し紛れに書いたものだと思いますが、敢えて、そのまま載せてみたいと思います。
作品名:「エル・トポ」
監督:アレハンドロ・ボドロフスキー
製作年:1970年(米+メキシコ)
何の情報もなく、偶然に観た。
田舎者で、まだ10代だった僕のふにゃふにゃの感性を直撃した。
観終わって、しばらく身動きができなかった。
当時、誰に話してもこの映画のことを知らなかった。
自分の感性が大衆性を持ち合わせていないのかと不安になった。
かなり経ってから、ジョン・レノンがこの映画の独占配給権を買い取ったことを知った。
少しだけ、自分の感性を信じてもいいかもしれないという気になった。
僕をアートの世界に導いた作品だ。
作品名:「道」
監督:フェディリコ・フェリーニ
製作年:1954年(イタリア)
「道端の石ころ一つにも価値がある」
一つのセリフが、いつまでも心に残った作品だ。
宇宙における「エネルギー普遍の法則」に関して知ったのは、ずっと後のことだ。
宇宙のエネルギーの総量は変わらない。
例え人が死に、灰になっても、エネルギーは形を変えるだけで普遍だ。
宇宙の中では何一つ無駄なものはない。
一つたりとも欠けては、宇宙は存在し得ない。
すべてのものに存在価値がある。
映画は時として、人を救う。
作品名:「月の瞳」
監督:パトリシア・ロゼマ
製作年:1995年(カナダ)
「3つ挙げてください」という質問の答えで、一番迷うのが三番目だろう。
「これだけは外せない」という土壇場的な心理要因を含むからだ。
「あなたにとって異性に求めるものを3つだけ挙げてください」という質問で、本音が出るのが3番目だそうだ。
「優しくて、頭がよくて、お金持ち」こんな感じ?
この映画は、神学の女性教師と自由奔放に生きるサーカス団の女性が恋に落ちていく話だが、僕が挙げた3作品に共通するのは「サーカスのイメージ」、そしてそれにつながる「放浪のイメージ」かもしれない。
精神と心の放浪は、僕を魅了し続ける。
過去に書いた文章は、何となく「こそばい(くすぐったい)」ものです。
このブログも何年か経って読み返すと、きっと「こそばい」んでしょうね。
特に、「道」のくだり、
「映画は時として、人を救う」なんてのは、いきなりで、わけが分からない!
この映画を見た頃、僕は「自分の存在価値」に大いなる疑問を感じて、悶々としていたことは確かですが、まあ、ここまで大上段に構えることもないですよね。
「月の瞳」に関しては、解説も感想もほとんどなく、この企画に対するコメントと3作品のまとめになっているし、全体的に「イキッてるぞ」って感じ!
まあ、こんな具合で、書いたもの、特に印刷されてしまったものは修正の仕様がない。
ブログは削除可能なのでまだ救いがありますが、このあたり、「心して書かなきゃ」と思うわけであります!
小原啓渡
2008.02.03
嘘
「う」、「嘘」でいきます、ほんとです!
「嘘つきは泥棒の始まり」などと言いますが、
「嘘つきは政治家の始まり」とか、
「嘘つきは小説家の始まり」とか言わないのが不思議です。
(別に政治家や作家を侮辱しているつもりは毛頭ありません)
つまり、一般的に「嘘」が、善悪の「悪」の部類に認識されていることが多いと言いたいだけです。
個人的には「善悪」なんて、時代や国、個人の主観によっても違うわけですから、いわゆる「真理」ではないと思っていますが・・・、それはさておき、悪者じゃない、他人に喜びを与える「嘘」もあるってことです。
「そんなやつおらへんやろぉー!」
の「こだまひびき」ではないですが、マンザイなんて「嘘」ですよね。
小説だって、ドラマだって基本的には嘘の話。
結局のところ、嘘をつく目的によるんでしょうが、「明るい嘘」と「暗い嘘」があるんでしょうか。
「明るい嘘」は「フィクション」なんてカッコいい英語の別名まで付けてもらってますが、「暗い嘘」は「泥棒」扱いで、ちょっとかわいそうな気もします。
僕の場合、明るかろうが、暗かろうが、基本的に「嘘」は好きじゃない。
できれば、「ほんと」がいいし、「真実」がいい。
「フィクション」より、どちらかと言うと「ノンフィクション」の方が好きだし、できれば、真実の話に笑い、真実の出来事に泣きたいと思っています。
学生のとき、ある嘘に随分と傷ついたことがあって、それからずっと
「人はどうしたら、嘘をつかずにすむんだろう?」と考えてきました。
今のところの答えは、
「自分を認め、自分に正直になる」ってことです。
人に何て言われようが、思われようが、自分が自分であることを宣言するってことですね。
現実的には、これって簡単ではないですが、少なくとも、そこに価値を見出してからは、嘘をつくことが激減したように思います。
ある意味で、嘘をつく必要が無くなる訳ですから・・・・・
人間関係の潤滑油としての嘘やお世辞などもありますが、自分を認めるように、他人をありのままに認めることができ、信頼を築くことができれば、オベンチャラなんて必要なくなって、「本音」が励みになり、本当の喜びになると思います。
嘘をつかせてしまった自分を省み、嘘をつかねばならなかった相手を思いやることができれば最高ですよね。
確かに、現実離れした、きれいごとの「理想」かもしれません。でも、どう思われようが、僕はそこを目指します。
小原啓渡
2008.02.02
インターネット
「い」、「インターネット」で。
アートコンプレックス1928をオープンさせるために、約半年、準備に費やしました。
ホールの改装がそれくらいかかった訳ですが、その間、1928ビルの4階、3畳弱の物置を事務所にしていました。
その部屋は、階段から屋上に出る手前で、屋上側の壁を抜いて窓にしたので、それほど圧迫感はなかったのですが、さすがに机と資料棚を置いて、お客様用に小さなソファーを置くと、もういっぱい!
晴れた日は、外に出て、屋上に置いたテーブルで打ち合せができたので問題もなく、レトロビルの屋上はそれなりに洒落ているので、お客さんにも好評でした。
しかし、雨の日ともなると、大変!というより異様な感じ。
お客さんと文字通り、膝を突き合わせての打ち合わせになります。
それも座れるのは一人だけ、あとの人たちは入口の扉を開けっ放しにして、階段の踊り場に立っててもらうより仕様がない。
実はこんな感じが嫌いじゃなくて、あえて近くの喫茶店とかには行かずにこれで通しました。
勝手に「日本一小さな株式会社」と名乗って、話のネタにしていましたが、当時のお客さん(特に立って打ち合せをした人達)にはご迷惑をお掛けしました!すみません!
で、なんで「インターネット」かというと、1928ビルのオーナーであり、建築家であり、プロダクトデザイナー(関空特急「ラピート」は彼のデザイン)であり、僕のビジネスパートナーでもある若林宏幸さんとこの極狭の部屋で、インターネットをめぐって、ある実験をやったことを、よく思い出すからです。
僕はその頃、ちょっとイチびって、新しもの好きでインターネットを引き、検索機能なども使っていましたが、若林さんはインターネットやコンピューターに関してかなり懐疑的でした。(社会全体がそんな感じでした)
「タウンページとコンピューターどっちが早いか、競争しよう!」
と若林さんが言い出しました。
僕がヤフーの検索機能を使い、若林さんは分厚いイエローエージを持って、ヨーィ、ドン!
当時は、ネット回線のスピードが遅く、検索できるデータ量も少なかっただろうし、コンピューター自体の性能も今と比べて段違い、っていうこともありますが、何度やってもイエローページの勝ち。
なぜ、この事を印象的に思い出すのか?
つまりは、インターネットの普及とその影響が近年あまりにも絶大だからでしょう。
アートコンプレックス1928は、1999年の12月にオープンしたので、約9年前のことです。
約10年前に、今のインターネットに纏わる現状を予測するのは確かに難しかったと思います。
現在、若林さんの事務所はもちろん、ほとんどの設計事務所は「キャド」を使っています。
今やコンピューターなしで仕事をしろと言われたら、お手上げです。
「タウンページとグーグル、どっちが早い?」
今の時代には、聞けない話です。
小原啓渡
2008.02.01
アラーキー
さあ、2周目です。
陸上で言えば、400Mで終わると思って走ったのに、「もう1周!」と言われたようなもの。
はたして、どこまで続くのか?
まあ、何とかなるでしょう!
ということで、「あ」、「アラーキー」で。
何年か前、アートコンプレックス1928で「アラーキー」こと、荒木経惟さんの個展をやりました。
1928は一般的なギャラリーではないので、天井から床にワイヤーを無数に張って、そのワイヤーに作品を留めていくという展示方法をとり、楽屋を暗室に見たて、シンクに水を張ってその中に作品を沈めたり、2階席に望遠鏡を設置して作品を覗いてもらったりと、
とにかく好きにディレクションさせてもらえました。
週末はオールナイトでやりましたが、深夜まで人が溢れました。
期間中、何度か飲みに連れていってもらったんですが、いやはや、刺激的でした!
荒木さんの取り巻きには、いつも何人かの女性がいました。
ファンって感じでもないし、スタッフにも見えない、かといって愛人でもなさそう、いったい何なんだろうという感じでした。
飲みに行くときはもちろんその女性たちも一緒。
小料理屋で飲んでいると、突然、
「撮るぞ!」って荒木さんが言い出す。
「大将、この店、これから借切るよ!」
いきなり、女性が脱ぎだす!!!
「えぇっっ!!、モデルだったの??」
淡々と、熱っぽく、撮影?が続く。
「完璧に違う世界になってる!」
「荒木さん!ファインダー見てないじゃん!?」
「えぇっっ!!、僕、見ててイインスカ!?」
「ちょっと!それって・・・・・!?」
って感じで、毎日が「!?!?」の連続でした!
個展が終わって、荒木さんから作品を頂きました!(これがまた大きい)
事務所か、家か、どこでもいいから飾りたいのは山々ですが、
ぅぅぅ?っ!どうしても飾れません。
アート的にいうと、
「身体とおもちゃのコラボレーション???」
とでも言いましょうか!?
この作品、うちの押入れの中で、今も、日の目を見れずに眠っています。
小原啓渡
2008.01.31
侘び・寂び
「わ」です。
「わ、い、う、え、を」、「ん」と続きますが、実際のところ、これ以降で冠頭にくる言葉は無いと思われ、「あ」行との重複もあるので、一応今回で完結です!
とりあえず、紆余曲折はありましたが何とか最後まで来ました!
元旦から1か月、毎日書き続けることができたことも、ちょっとうれしいです。
次回からは、もう一度「あ」から始めるか、「A」から今度はアルファベットでいくか(英語?)、もうこのブログをやめるか(続けろ!と思ってくれた人、ありがとう!)考えます。
最後は、かなり難解な概念「侘び・寂び」で。
外国の知人から、「侘び・寂び」って何?と聞かれることがあります。
日本語でもうまく説明できないのに、英語となると、なおさら大変!
日本独自の伝統的文化にかかわる説明は、その土壌となっている歴史的な解釈も必要になり、かなりの知識が必要です。
今後のためにも、一つここでまとめてみようかとも思いましたが、やはりこのブログらしく、僕が経験の中で感じたものだけを少し綴ってみたいと思います。
数年前、フランスでの長期出張から帰国した日が、たまたま京都の「大文字」だったことがありました。
長く海外にいると、目が洗われます。
つまり、日本の「あたりまえ」から少し離れることができるということです。
いつも通る三条大橋からの眺め、加茂川、東山、古い町屋・・・
「日本に京都があってよかった」というコピーがありましたが、帰国後、1日、2日は日本の伝統文化の何もかもが新鮮に見えます。
その日も・・・・
提灯が連なる先斗町の狭い通りを、まるで初めて京都に来た観光客のように歩き、加茂川べりへ。
浴衣姿の小さな女の子が、お母さんと花火をしていました。
「絵になっている」ってことばがありますが、まさにそんな情景に思わず立ち止まって、見入ってしまいました。
疎水にかざした女の子の小さな手の先で、パチパチと幽かな火がはじけています。
「線香花火」でした。
一瞬、息が止まって、
何か大切なものを見た気がしました。
確かに、ことばで「侘び・寂び」の意味を伝えることは至難かもしれません。
しかし、生活の中に消えずに残ってきた、そんな線香花火の「はかなさ」や「わびしさ」、質素であり、静寂さえ感じさせる趣は、言葉以上の何かを私たちに伝えてくれます。
学術的な話は別にしても、実はこんなところに「日本文化の継承」があり、日本人の遺伝子に組み込まれた「美意識」の本質があるのかもしれませんね。
小原啓渡