小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.12.31
本望
「ほ」で始まることば、「本望」で。
ついに大晦日。
今年、元旦から始めたこのブログ「諸行無常日記」も今日で終わりにしたいと思います。
「あ」から順に、「ん」まで、「あ」なら「雨」とか「アジア」とか、その日の頭文字にあたる適当な言葉に関するショートエッセイを1年間ですから、約350編ほど日記という形で書き続けてきました。
不規則な生活が常な自分が、ほぼ毎日書き続けることができて「本望」です。
読んで頂いた皆さんに心から感謝いたします。
ありがとうございました!
良いお年をお迎えください!!
小原啓渡
2008.12.30
平成
「へ」、「平成」で。
間もなく「平成」20年が終わります。
平成元年に生まれた長男が20歳、成人です。
平成10年にスタートさせた「アートコンプレックス1928」が10周年を迎えます。
考えてみると、この20年(特にこの10年)、仕事においてもプライベートにおいても、数々の変化がありました。
「アートコンプレックス1928」の立ち上げを機に、フリーの照明技術者からプロデューサーに転向、その後、京都から大阪へ活動エリアを広げ、まず福島にサロンをオープン、名村造船所跡地(C.C.O)のアートスペース化に着手、指定管理者として芸術創造館の運営を開始、昨年は「AIR大阪」を始めました。
この間、施設運営の他、「コンテンツファンド」の創設や「三条あかりけしき」、経産省からの委託事業や「ワークショップフェスティバル・DOORS」等、数々の自主企画を続けてきました。
休日という言葉とも縁遠く、馬車馬のごとく働き続けてきましたが、一人でやれる仕事量ではありません。
やはり、これだけの仕事をやれたのは、何といってもスタッフのみんなの力だと思います。
10年前、20代前半だったスタッフも、今は30代半ばとなり、技術、経験共にプロとしての実力をつけてきました。
会社としてのベースも出来てきたのではないかと思います。
来年からは、このベースの上に何を築いていくのか、新しい10年の始まりです。
最高のチームとして、社会的にも価値ある仕事をしていきたいと思っています。
小原啓渡
2008.12.29
不況
「ふ」、「不況」で。
世界同時「不況」が進行しています。
実際、一経営者としても全く先の見えない時代に入ってきたことを感じます。
ほんの数か月前、2兆円を超える経営黒字を出していたトヨタが一挙赤字に転落した事実は、ものづくり国家として成長を続けてきた日本経済全体にとっても大きな衝撃でした。
ガルブレイスが1978年に書いた「不確実性の時代」が、ちょうど30年を経過した今、皮肉にも確実なものとなった気がします。
ガルブレイスは、それまで疑われることのなかった前提、すなわち物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証である、とする考えに対して疑問を投げかけ、最初の脱物質主義者の一人と考えられている経済学者です。
暗闇の中に置かれたとき、究極の選択肢は二つです.。
じっと動かず他力本願に任せるか(いつか夜が明ける、誰かが何とかしてくれる‥)、視覚に頼らずそれ以外の感覚、聴覚や臭覚や触角、あるいは勘を頼りに出口を模索するか・・・。
ただ問題なのは、その期間がどれほど続くか分からない状態で、じっと動かず夜が明けるまで耐えれるだけの体力を備えた企業は少ないということです。
まさに新しい時代の到来です。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、僕はこのエキサイティングな時代を歓迎し、果敢に挑んでみたいと思っています。
目に見えないもの、聞こえないものを信じて。
小原啓渡
2008.12.28
ヒーロー
「ひ」、「ヒーロー」で。
僕にとって子供の頃の「ヒーロー」と言えば、劇画を原作にTVドラマになった「柔道一直線」の主人公「一条直也」でしょう。
高校まで柔道をやっていたことをみても、子供の頃、と限定できないほど影響を受けていたのかも知れません。
ただ、僕の見た「一条直也」は漫画でもなく、仮面ライダーのような超人的なキャラクターでもない、桜木健一さんという俳優が演じておられた生の人間でした。
僕が京都の南座で揚幕の仕事をしていた時に、あるお芝居の役者さんとして出演され、実際に毎日(1か月ほど)お会いすることになりました。
初めてお会いするリハーサルの日は、さすがに緊張したというか、非常に複雑な気持ちでした。
もう子供ではないですから、すべて現実として捉える事ができても、テレビの中の「ヒーロー」が目の前に現れて、話もするわけですから複雑です。
実際にお会いした桜木健一さんは、小さくて気さくなおじさんでした。
そういえば、「柔道一直線」に出られていたヒロイン吉沢京子さんともその後お会いしましたし、近藤正臣さんとも数年前、あるシンポジウムでご一緒させていただきました。
「小原君っておもしろいね」と言っていただき、普通に近藤さんと話している時間が、現実ではないような錯覚にも陥りました。
ただ、桜木さんにも、近藤さんにも、「柔道一直線」の話だけはしませんでした。
なぜか、その部分にだけは触れたくなかったのです。
小原啓渡
2008.12.27
パンドラ
「は」、「パンドラ」で。
「パンドラ」とは、ギリシア神話に登場する女性で、神々によって作られた人類の災いとして地上に送り込まれた、一説によると人類最初の女性とされる。(Wiki)
「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」の慣用句として使う「パンドラの箱」は、彼女が忠告されていたにもかかわらず開けてしまい、そこから飛び出した災い(疫病、悲嘆、欠乏、犯罪など)を見て、慌ててその箱を閉めたが、一つを除いて全て飛び去った後だったという神話から来ていて、最後に残ったものは希望とも絶望とも、未来を全て分かってしまう災い(予兆)ともいわれています。
以前、「パンドラ」という題名のTVドラマを見たことがあります。
これは「がんの特効薬」を「パンドラの箱」に見立てた社会ドラマでした。
人類が切望する「がんの特効薬」が発明されれば、成人の三分の一がこれで命を落とすといわれている「がん」を撲滅できる、しかし同時にそのことによって平均寿命が急激に伸びて、年金制度などの社会システムが崩壊、食料や資源の問題にも及び、種自体の存続を脅かす危険性を孕んでいるといった内容でした。
これに関しては、ペニシリンの発明などが過去にもあったわけですから、僕としては説得力の弱い設定に思えましたが、「パンドラの箱」について考える良い機会ではありました。
結局この神話で言いたいことは、最後に残ったもの、「絶望」「希望」「予兆」という色々な説はあっても、「絶望が外に出なかった」「希望が中に残った」「未来がわからない」ということで、つまり「人類に最も大切な最後の砦は、希望を持ち続けること」ということではないかと思います。
単純にこう言い切ってもいいような気はしますが、そこは神話です、言い切らないところが深いのです。
小原啓渡
2008.12.26
ノロウイルス
「の」、「ノロウイルス」で。
かなり回復しましたが、体調を崩した直接的な原因はどうやら「ノロウイルス」だったようです。
病名は「感染性胃腸炎」で、細菌、あるいはウイルスなどの感染性病原体による嘔吐、下痢を主症状とし、その結果、発熱、脱水、電解質喪失症状、全身症状が加わるものを云うらしい。
おそらく何か食べた物から菌が入ったのだと思いますが、疲れのために抵抗力が落ちていて、感染、発病してしまったのでしょう。
この2日ばかりほとんど何も食べておらず、水分補給だけをしていますが、さほど食欲もないので、これはダイエットの良い機会です。しばらく頑張ってみようかと思います。
定期的に「絶食」をするのも体に良いと聞いたことがあります。
やはり内臓も、たまには休ませてやることが大切なようです。
小原啓渡
2008.12.25
年末
「ね」、「年末」で。
「年末」ですね。
クリスマスや仕事納めなどで慌ただしいですが、10回目となる「コンドルズ京都スペシャル公演」が終わった23日の夜から体調を崩してしまいました。
発熱・嘔吐・下痢の三拍子で、最悪のクリスマスとなりました。
ニューヨークから帰国後、ジェットラグが長引いて睡眠不足が続き、かなり疲れを感じていて、ヤバいかなとは思っていましたが、ついに来たという感じでした。
何とか日々のスケジュールをこなして行くことが精一杯で、気づかなかったのですが、手帳を見てみると、ここのところ全く休みなくアポイントでぎっしり、少なくとも一日4,5件の予定が入っています。(もともと休みなどないのですが・・・)
こうして振り返ってみると、確かに今年一年、よく働いたと思います。
ただ、体を壊してはだめですね。
「年末」、一年の締めくくりとしては良い教訓になりました。
小原啓渡
2008.12.24
ヌンチャク
「ぬ」、昨日のブログにも書きましたが、実際のところ「ぬ」から始まる言葉は少ないのです・・・。
そこで無理やり、「ヌンチャク」で。
「ヌンチャク」といえば、「ブルースリー」ですね。
「燃えよドラゴン」の日本公開が1973年ですから、まさに僕らの世代が悪ガキだった時代です。
ただ、この時にはブルースリーは既に亡くなっていました。(1973年没・享年32歳)
世界的な名声を得る前に亡くなったというのも、彼が伝説になったひとつの要因だと思いますが、あの独特なキャラクターは、やはり伝説になるべくして生まれたスターだったような気がします。
小原啓渡
2008.12.23
日記
「に」、「日記」で。
今年の1月1日から海外出張中以外は、ほぼ毎日このブログを書いてきました。
いわゆる「日記」の形式ですが、日々の出来事や感想を書いてきたわけではないので、純粋に「日記」と言えるのかどうかは微妙です。
「あ」から「ん」まで、現在8周目ですから各8つ、約350編ほどの短い「エッセイ」を書いてきたというのが正確かもしれません。
頭文字と言えど、なかなか言葉が思い浮かばず、強引に書く場合も出てきました。(例えば「ぬ」とか)
考えてみると、このように日記を書いたのは、大学を中退してインドに渡り、旅をしていた時以来です。(25年以上前)
自筆で書いて、1年以上持ち歩いていたこともありますが、今残っているその日記帳はかなりボロボロです。
その日記帳を見るだけで、ずいぶん昔に書かれたものだろうことは、誰にでも容易に推測できるわけです。
しかし、今回はパソコンで書き、ネットにあげているので、この後、何年経っても、目に見える風化はないでしょう。
写真や映像などもそうですが、データ化されたものは、過去のものなのか現在のものか、見た目ではわからないということになってくるのでしょうね。
ある意味で、ちょっとコワい気もします。
小原啓渡
2008.12.22
なぞなぞ
「な」、「なぞなぞ」で。
以前「川柳」で面白いと思うものをピックアップしたことがありますが、今日は持ちネタっぽい「なぞなぞ」を紹介しましょう。
まずは僕が子供のころ流行った古典的な「なぞなぞ」
「ウルトラマンは何歳?」
答えは、「18歳(ジュハッチ!)」
少しひねったものでは、
「目をつむれば見えるけど、目を開ければ見えなくなるものは?」
答えは、「夢」
ちょっと頭を使わなければわからないもので好きなのは、
「リンゴ10個を11人に均等に分ける方法は?」
答えは、「ジュースにして分ける」
3問とも正解の方は、謎の人ですね。
小原啓渡