インターミッション(1)

 今回は私のかけ出しの頃の話。私が舞台の仕事を始めたのが20年くらい前になるので、それくらい前の話である。
 大学を中退してからインドに渡ってヒッピーをやった後、京都に舞い戻ってからも毎日飲んだくれていた。行きつけのジャズバーに、同じように毎日1人で飲 みに来るちょっと藤達也似のおじさんがいて、当時、彼が舞台照明のデザイナーでなんとなく面白そうだと思ってこの業界に入った。
 彼は今から3年程前に肝硬変でなくなったが、入院している病院から車で抜け出して、飲んで、正面衝突の事故を起こし、たまたま救急車で運ばれた先が抜け 出した病院だったという伝説の持ち主。物静かだけどクレイジーなそんなおじさんと一緒にやる仕事が好きだった。師匠とかそういうのではなくて、殴り合いの 喧嘩もしたし、その会社には3年ほどしかいなかったけど付き合いは死ぬまで続くことになる。
 その3年間が私のかけ出しといえる時期で、その頃は給料も安く、4畳のぼろアパートで暮らしていた。しかし憶えてる限りでは何も不満はなく、深夜まで仕 事をして、それから飲みに行って、また早朝から仕事をしていた。会社の連中はみんな学生運動をやって大学を中退した奴ばかりで、まともなやつは入れない空 気があり、毎日が面白かった。とにかく自分が「おもろい」と思うことしかやりたくなかったし、おもろいことをするために必要なことは少々しんどくても我慢 できた。
 また業界の中で、自分が格好いいやん、って思える先輩が1人でもいれば頑張れるようなところがあった。それ以外の有償無償は目に入らない。10年やれば 20年やればひょっとしてあんな感じになれるかなと思える人が、幸運にも2,3人はいたから続けて来られたのかもしれない。やたらと後輩に色んな事を教え たがる人がいるが、仕事は見て覚えるものであり、自分が魅力的な人間になりさえすれば、黙っていても追って来てくれると思う。
 果たして、自分が20年やって来て、私みたいな人間になれたらいいと思ってくれる人がいるだろうか。少しでもそんな存在になれればと思う。

P.A.N.通信 Vol.55に掲載

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