アーティストインタビュー
鈴江 俊郎(脚本・演出家・俳優)


鈴江俊郎 プロフィール
劇団八時半主宰、劇作家、演出家、俳優。63年大阪市にて出生。
89年「区切られた四角い直球」第4回テアトロ・イン・キャビン戯曲賞、 95年「零れる果実」第2回シアターコクーン戯曲賞、「ともだちが来た」第2回OMS戯曲賞、「髪をかきあげる」第40回岸田國士戯曲賞受賞など。
94年より松田正隆・土田英生と編集部を結成して演劇批評、戯曲創作雑誌「LEAF」を発行。
96年より京都舞台芸術協会を事務局長として旗揚げ、表現環境の改善に取り組んでいる。
現在副会長。



「創造とは何か」をテーマに、様々なジャンルで活躍されているアーティストの方々にお話を伺っています。
今回は京都舞台芸術協会の副会長であり、また劇団八時半の主宰・作・演出家でもある鈴江俊郎さんにお話を伺いました。

小原
 「創造」についてお聞かせ下さい。

鈴江
 いろいろなニュアンスを含めて言うなら、生き甲斐みたいなものですね。元気 よく生き生き暮らす為に必要なものでもあるし。
 原風景の様なものを辿るとしたら、中学校二年の時に漫画専門店みたいな所に行って、つげ義春のマンガに出会った事ですね。初めて見て、“すごい!こんな 表現してくれる人がいる。”と。その時、僕の中で何かが大きく救われたという感じがして、感謝してるんです。
 当時僕はイジメられてたり、友達がいなかっったり、思春期特有の悩み方をしていて、死ぬという事がすごい身近にある感じでした。感情がオブラートに包ま れていくっていうのが、社会性を身に付けるという事だと思うんですけど、色々な“にごり”がある日常生活の中で、“にごり”を一気にはずしてみるみたい な、透明な感じをその時持ったんですよね。
 13歳、14歳の鈴江君のように明日か明後日死のうか迷いながら生きている人はきっとどこにでもいると思うんです。でも、“あ〜こういうことをする人が いるんだな”という人や作品に出会うことによって感謝して、死ぬのを1年間辛抱しよう、その時を生きよう、生き続けようというか。それができれば次は頑張 れば僕が感謝を与えられる人になれるのじゃないかなあ、って。
 僕がつげ義春に感謝したように、次は僕が人に感謝してもらえる人になりたいなと。
 生き延びるために必要な最大のエネルギーがそのつげ義春だったりしたので。だから、そういう意味での生き甲斐なんです。

小原
 現在も“死”は身近なものですか?

鈴江
 現在は、年をくって葛藤も基本的に穏やかになってきましたので、ぼんやり生きてます。
 僕は、人の葬式でほとんど泣いたことがないんです。未だに、死ぬという事があまり遠い感じではないのだと思います。死ぬということがそれほど悲しい事だ とは思えない。
 けれども、明日、明後日死ねるかと思うと、いやもう少し頑張らないといけないと思うのは、やはりそれは作品や作品の質ですね。
 一つの作品でいいから、これだけはみんな絶対読んでもらいたい、鈴江俊郎といったらこれだ!という作品が未だ出来ていない気がするので。
 だから、まだ死なないでもいいんじゃないかと。それに、これからそんな作品が創りたいんです。

小原
 創造する上での“手法”についてお聞かせ下さい。

鈴江
 自分が飽きないようにする事、飽きないように工夫する事ですね。毎回同じやり方でやっていると、飽きてしまうので。
 その飽きないための最大の手というのは、新しい人とやるという事なんですよ。
 でも、ただ一緒にするというとは違います。それでは結局、同じように芝居をつける感じになりますから。 一緒に創ったという手応えを得るには、話を聞か せてもらうんです。ある登場人物を大雑把に決めて、この人はどんな癖を持ってて、どんな事を悲しいと思ったり、苛立つと思ったりするのか、鈴江にどんどん 話してもらう。
 5秒以上は黙ったらダメというルールを作って遊びながら進めていくと進めていくと、殆どの人は自分の話になるんですよ。それを脚本に取り入れる。する と、その人自身のセリフになるんですね。
 創造というか、演劇というのは英語で訳すと"PLAY"ですからね。“遊び”という事ですから、ただ遊びなんだから、色々遊び方を工夫して、僕達がただ 楽しく遊ぶという事が出来ればいいと思うんです。
 人が観に来て、喜んでくれたというのが実感、ありありと感じた時が一番楽しい。
 だから、楽しくするなら、真面目に一生懸命、芝居を練習しないといけないですよね。その辺は、真面目にやりますけど、でも、基本的には僕らが勝手に楽し んでいるという点を忘れたくないと思います。

小原
 本日は有難うございました。

P.A.N.通信 Vol.45 掲載

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