アーティストインタビュー
高谷 史郎 (アーティスト)

高谷 史郎 プロフィール
京都市立芸術大学環境デザイン科卒。
1984年ダムタイプ創設メンバーとして活動に参加。以降、ダムタイプのパフォーマンスやインスタレーションの制作に携わり、映像、照明、グラフィックや 舞台装置デザイン等を手がける。
個人的な活動としては、1999年坂本龍一オペラ『LIFE』の映像担当。2001年バレンシア・ビエンナーレにて中谷芙ニ子との共同制作作品 『IRIS』発表など。
平成14年度京都市芸術新人賞受賞。

「創造とは何か」をテーマに、様々なジャンルで活躍されているアーティストの方々にお話を伺っています。
今回は、ダムタイプ創設メンバーとして活動に参加、パフォーマンスやインスタレーションの制作に携わり、映像、照明、グラフィックや舞台装置デザイン等を 手がけるアーティストの高谷史郎さんにお話を伺いました。

小原
 高谷さんにとって、"創造"とは何でしょうか?

高谷
 すごい大きなテーマで、すごく尊大な答えを言わなきゃいけない気がするんですけど、冷静に素直に考え直してみると、自分にとって創造とは、単純にやはり "創る"ということなのかと思うんです。ものを創ることが好きで、創りたいものがあるから作っているだけという気がしますね。

小原
 テーマというか何かを表現するために創るという考え方もあると思うんですが?

高谷
 難しいなー。ものを創りたいと思う気持ちが、なぜ発生するかという部分は、それこそほんとに言葉にできないかもしれないですね。
 最近読んだんですけど、数学者の岡潔さんという方の本の中で、数学は何のためにあるんだってよく聞かれると。その問いに彼は「野に咲くスミレになぜおま えは咲くんだって聞いたとしたら、スミレはきっとこう答えるだろう。そもそもスミレは咲きたいから咲いているだけで、それが野原にどういう影響を及ぼすか なんてスミレは知らない。スミレは咲きたいように咲いているだけだ」と答えているんですね。読みながら共感を覚えるというか、そんなことなのかなって。
 『ダムタイプ』をやっていて、アートという分野の中で何ができるだろうかと色んな事を実験してきたつもりなんですけれども、今思うのは、自分がほんとに 誤魔化しなく何が創れて、何がしたいんだろうと探っていくと、単に創りたいから創っているだけということに行きついて、そして、それをいかに成立させるか ということになるんです。それだけ言うと簡単そうなんですけど、意外とそれが難しい。やっぱり誤魔化しちゃうじゃないですか、理屈をつけないと安心できな いみたいな。社会と無関係で創るのはあり得ないっていうのも分かるんですけど、そういうのを取っ払って創れないかなーって思っているところはありますね。

小原
 世界各国で『ダムタイプ』として自分たちの作品を発表されているわけですが、その際その国々で反応の違いはありますか?

高谷
 作品に対する反応はやはりその国その国によって全然違いますね。でも実際話すと、完全ではないですけど分かってくれる人は分かってくれているし、分かっ てない人は分かってない。最終的には一緒なんだと思うところはありますよね。

小原
 つまり、あくまで個人的なものということでしょうか。それぞれ国籍や民族に関係なくて、例えば日本でも十人に見せれば十人の感想が違うように。

高谷
 最終的にはそうだと思いますね。
 ヨーロッパのインタヴューで、例えば「音楽が世界共通の言語であるように、アートが一つの全人類共通の言語で話せるのか」みたいな事を質問されると、も ちろんそうだと答えます。アートは一つの言葉であり、それで僕たちが新しい言葉を、言葉に頼らないコミュニケーションのスタイルを創ったんだみたいな事を 言いたくなるんですよね。でも、日本に帰って来てじっくり考えたりすると、果たしてそうなのかと。そうやって一つにまとめてしまう事によって、押しつぶさ れていく事がいっぱいあるのではと考えるんです。世界中の人と、一つの作品を通じてコミュニケーションできるはずだという夢もあるんですけど、その反面、 ファシズムじゃないですけど、すごく大柄な態度なのかなと思っちゃうところもあるんですね。
 ヨーロッパにいる時は、なんか舞台芸術をやっている日本から来た奇妙なアーティストグループとして見るなよーみたいな気持ちが、出てきちゃうからかもし れないですけど。

小原
 『ダムタイプ』の作品というのは、アートの世界に対して、大きな影響力があると思うんですが、ここまで影響力を持つに至った要因というのは何だと思いま すか?

高谷
 影響力があったかどうかは分からないですけど、これは一つ突き詰めてやったと思うのは、身体表現も含めてあらゆるメディアを分け隔てなく、いい意味でい うと、"すべてを融合させて何かを表現しようとした"というのはありますね。それはやはり京都市立芸大で集まったメンバーがそれぞれやりたいことがあった から、ミックスしないと仕方がなかった、っていうところもあるんですけど。でもすごく幸せな人たちに出会ったんだと思います。そこが一番強いんでしょう ね。そこが弱かったら、新しいコミュニケーションのスタイルがって言っても、出来たものが面白くないじゃないかと言われる事になっちゃいますから。

小原
 作品を創るにあたって、やはり三人それぞれの役割みたいな物はあるんでしょうか?

高谷
 そうですね。結成してから五年目になるけど、段々役割分担も出てきたかなって。  新作に関しては、私がコンセプトメーキングというか下敷きになるような言葉をまず創って、ニイが実際の動きに変換していく。そして高谷が演出というか全 体の動きを付けていく。そういうように折り重なるように出来上がっていく感じですね。

小原
 最後にあえて一言で言うと"創造"とは?

高谷
 "僕にはわからない何か"なんでしょうね。

P.A.N.通信 Vol.58に掲載

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