ヌーボーシルク見聞録 vol.1
私がヌーボーシルク(新しいサーカス)に出会ったのは1996年の夏、コペンハーゲンでのことだ。
ヨーロッパでは毎年、一都市が「文化首都」に定められ、年間を通して様々な文化イベントが催される。文化のオリンピックみたいなもので、各国から様々なアーティストが集まり、プログラムが組まれる。その中で私が最も興味を持ったのがヌーボーシルクの特集だった。以前から新しいサーカスの潮流としてヌーボーシルクの噂は耳にしていたし、1992年のシルク・ド・ソレイユの「ファシナシオン」東京公演も観ていたが、フランスの純然たるヌーボーシルクを実際に観るのは初めてだった。チャップリンの愛娘で有名な「インビジブル」をはじめ4つのカンパニーで構成された1ヵ月に及ぶ企画だったが、中でも私が度胆を抜かれたのがフランスのカンパニー「ク・シル・ク」の公演だった。
男二人と女一人、三人だけのまさに新しいサーカスパフォーマンスだっだ。この「ク・シル・ク」に関しては、またいつか詳しく紹介するつもりだが、とにかく身震いする程の感動と衝撃を受けた。ほぼ完璧な形でアートとエンターテイメントが融合し、現代と伝統が一体化していた。私がヌーボーシルクに尽きない興味を持ち始めたきっかけとなった。
当時日本では舞台関係者の中でさえヌーボーシルクという言葉を知っている者が少ないという状況だったが、現在では松任谷由美がコンサートツアーにモスクワのニューサーカスのカンパニーを起用したり、前述したシルク・ド・ソレイユの「サルティンバンコ」が大好評を博している等の理由もあって、かなりヌーボーシルクという言葉が知られるようになって来た。といっても、公演のために来日するカンパニーは少なく、従って日本の観客がヌーボーシルクに触れる機会はまだまだ乏しい。これまでも、アートに関心を持つ人々に対して、ヌーボーシルクの面白さや可能性について熱心にプレゼンテーションしてきたが、より多くの人々にヌーボーシルクの素晴らしさを知ってもらいたいと,このP.A.N. PRESSの紙面をお借りすることになった。
今回は連載のはじめにあたり、ヌーボーシルクに関して全く情報を持っておられない方に対して、簡単に歴史的な背景も含めたヌーボーシルクの説明を書き添え、次回につなげたいと思う。
《ヌーボーシルク》
伝統的なサーカスの衰退に苦慮したフランス政府が1985年、国立のサーカス学校を設立した。これにより家族的に受け継がれてきたサーカスが広く一般に門戸を開くことになる。新しい感性と方法論が流れ込み、伝統的なサーカスの枠を打ち破る、アーティスティックな、創意工夫に溢れた作品あるいはカンパニーが出現し始める。その潮流をヌーボーシルク(新しいサーカス)と呼ぶようになった。ダンス色の強いものもあれば、演劇的要素を多分に取り入れたものもあり、音楽的にも多岐に渡っている。ジンガロのように曲馬芸をメインにしているものもあるが、概して動物を使うことは無く、衣装・美術なども含めアーティスティックな演出に力が注がれている。
今日では多様化と複合化がさらに進み、サーカスの技術を使うという共通点はあるものの、様々な芸術的シーンを包括して「ヌーボーシルク」という言葉が使われはじめている。また、世界的なカンパニーとなったシルク・ド・ソレイユはカナダを本拠地としているように、フランスにとどまらずソ連やオーストラリアなど世界各国からヌーボーシルクの潮流は渦を巻きながら流れ出し始めている。
P.A.N.通信 Vol.33に掲載
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