ヌーボーシルク見聞録 vol.10

 以前、見聞録(4)でも書いた「アポストロフィ」の日本公演が決定しました。今回 は決定までの紆余曲折を書いてみたいと思います。  2002年11月、ヌーボーシルクの視察を目的に、大使館よりフランスに招待して頂き、色々な施設や公演を見せて頂きましたが、その中でも「アポストロ フィ」の公演に痛く感銘を受け、公演後すぐにコンタクトを取りました。彼等が日本に強い興味を持ちながら、今まで来日の機会がなかった事も知り、早速日本 公演の計画を進める事にしました。
 翌日AFAA(フランス外務省の文化助成機関)に出向いて協力を要請し、帰国後はフランス大使館に視察の報告もかねて、公演の協力をお願いに行ったとこ ろ、ちょうどアジア各国に駐在するフランス大使の文化政策会議があるという事で、共同企画として「アポストロフィ」を推薦して頂く事になりました。
 結果、ベトナムと中国、ニューカレドニアの賛同を得て、日本公演を含めたアジアツアーの企画が成立し、AFAAからも助成の内定を受ける事ができまし た。日本以外の公演は大使館サイド、日本ツアーのみを私が担当する事に決まり、動き始めたのですが、関西を中心に4都市での公演がほぼ決定した時点で、準 備を進めてくれていた大使館の文化担当官とAFAAの担当官が共に転勤となり、担当を離れる事になったのです。
 事業途中での担当者の転勤という事態は、公官庁との仕事においては日本でもよくある事で、綿密な引継ぎさえなされれば問題はないのですが、残念ながら海 外においては特にその常識が当然の事として成立しない場合も多いようです。今回の場合もアジアツアーの実務的な面が急に動かなくなり、アジアツアーのメド が立たず、AFAAの助成がキャンセルになってしまいました。
 助成の内定を受けた時点から、日本ツアーを準備していた私としては、予算組に大きな変更を強いられる事になったわけですが、公演の承諾を得ている劇場側 に今さら条件を変えて頂く事はできません。結果、全ての公演予定を白紙に戻す必要がありました。幸い、まだ時間的に余裕のある時期でしたので、大きな問題 もなくキャンセルとなった訳ですが、私個人としてはどうしても納得がいかず、悶々とした日々を送りました。最終的には助成金のない形で最初から計画を組み 直し、公演を断行する事にしたわけですが、チケットがソウルド・アウトしたとしても赤字は免れません。
 この件で私が身をもって学んだ事は大きく、赤字はその授業料だと考えて納得していますが、「とらぬタヌキの皮算用」これは制作者として決して忘れてはな らない教訓です。


P.A.N.通信 Vol.46に掲載

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